「哲学」ってむずかしいことだと思っていませんか? 「哲学」とは、「ものごとの正体を知ること」。哲学者の小川仁志さんが、身近なことを題材に分かりやすく哲学の視点から読み解きます。今回はジブリ作品「風の谷のナウシカ」を哲学。さあみんな、出発しましょう。どんなに苦しくとも生きねば。

この世から不幸を消すたった一つの方法・・・それは

 「風の谷のナウシカ」を観て、ナウシカの姿に聖女やキリストを重ねた人もいるのではないでしょうか。私がまさにそうでした。大地を汚すという自らの罪のせいで、心身ともに苦しみを背負う人々。腐海と呼ばれる森が放つ毒の胞子によって、酸素マスクなしには呼吸もできない。そんな不幸の中で、愚かな人間たちは森を焼き払い、生き物を殺し、さらに罪を重ねようとします。

 しかし、それでは不幸は肥大化していくだけなのです。憎しみは憎しみを生み出すだけ。ナウシカだけがそのことを理解しているため、一人森を守り、生き物たちと共存しようとします。銃を使って暴力で物事を解決しようとするトルメキア帝国のクシャナに、ナウシカはこういい放ちます。「あなたは腐海を何もわかっていない」。このあなたとは、全人類の比喩であり、わかっていないのは不幸の消し方です。

 奇しくもキリスト教に関する卓越した思索を展開した女性哲学者シモーヌ・ヴェーユは、不幸の消し方について論じた人物です。彼女は不幸の三つの条件を挙げています。つまり、肉体的な要因、心理的な要因、社会的な要因の三つです。

シモーヌ・ヴェーユ(1909-1943)。フランスの女性哲学者。キリスト教の観点から、不幸や美といった概念について論じた作品を多く残し、現代にも大きな影響を与え続けている。残念ながら病気によって34歳という若さで亡くなった。著書に『重力と恩寵』などがある。

 肉体的な要因とは、身体的な苦しみのことです。身体的な苦しみは不幸を生み出します。腐海の毒によって人々が苦しんでいたように。そして当然、不幸に心的な要因は欠かせません。どうすることもできない腐海への怒りから、トルメキアやペジテの国の人たちが人間や生き物を殺して不幸になっているように。

 社会的な要因というのは、社会的に転落する状態を指します。人間は誰しも突然の不幸に見舞われる存在です。社会的に転落する危険と常に隣り合わせなのです。ナウシカの世界でいうと、支配していたつもりが突然支配されるといった状況に当てはめることができるでしょう。

 人間はそんな不幸にとらわれた存在であるにもかかわらず、なかなかその本質に気づきません。いや、あえて気づこうとしないといったほうが正確かもしれません。ヴェーユが生きた二つの世界大戦に挟まれた時代もそうでした。そこで彼女は、若きエリート哲学教授であったにもかかわらず、自ら進んで過酷な工場労働を体験します。そうして不幸から目をそむけることなく、現実を直視しようとしたのです。

 そして悩みました。不幸に陥った人間を救い出すには、いったいどうすればいいのか。最終的にヴェーユが導き出した結論は、キリスト教的な隣人愛によって、彼らを愛し続けるというものでした。彼女はいいます。

苦しみのうちにとどまりつつも、なお愛することをやめずにいるなら、ついには不幸ではないなにかにふれます。(『神を待ち望む』)