自分にこだわっていては、善は実現できない

純粋というのは、普通に経験といって居る者もその実は何らかの思想を交えて居るから、毫(ごう)も思慮分別を加えない、真に経験其儘(そのまま)の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。

 つまり、何かを経験するとき、私たちはそれが何であるかを自分の中で考えるよりも前に感じる瞬間があるというわけです。言い換えると、主観でも客観でもない瞬間を経るということです。これが純粋経験の本質です。どうしてこの瞬間が大事なのかというと、それこそが西田のいう善を可能にするものだからです。

 西田のいう善とは、「或る一種または一時の要求のみを満足する」状態ではありません。そうではなくて、むしろ「或る一つの要求はただ全体との関係上において始めて」善となりうるのです。これは善が誰かの一方的な主張や要求ではなく、全体のバランスがとれた状況であることを物語っています。

 そんなバランスをもたらすためには、我執(がしゅう)を捨てる必要があります。自分にこだわっていては、善は実現できないのです。西田が、主観と客観の間にある純粋経験なる状態を重視するのは、我執を捨てるためです。

 ここでスターウォーズに立ち返ってみると、西田のいうバランスが、スターウォーズの世界で求められるバランスと酷似していることがわかると思います。そしてそれを実現する純粋経験こそ、ジェダイが努めて感じようとするフォースにほかならないのです。我執を捨てた無私(私的な感情にとらわれたり、利害の計算をしたりしないこと)の境地が、宇宙に満ちた全能の力と自分との一体化を可能にするといってもいいでしょう。

 いかがでしたでしょうか? 日本哲学で説くスターウォーズの世界。次回はスターウォーズのさらなる謎に迫ります。お楽しみに!

スターウォーズ
<作品紹介>
ジョージ・ルーカスが贈るSF映画。遠い昔のはるか彼方の銀河系を舞台としたスペースオペラを描くシリーズ。

製作総指揮・監督・脚本:ジョージ・ルーカス
販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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文/小川 仁志