人間の本性はもともと○○だった

 それは、人は善なのか? それも悪なのか? という根本的な問いです。

 物語の中では、これまでも常にダークサイドとライトサイドが話題となり、ダークが悪でライトが善ということになっていました。そしてその両者が戦う設定になっていたのです。ところが面白いことに、善と悪はしばし入れ替わり、どちらが悪なのか登場人物自身も、そして映画を見ているほうもわからなくなる瞬間が幾度となくあったのです。

 最新作では、その傾向がさらに顕著となり、一人の人間の中にも善と悪の葛藤が繰り返されたり、転換があったりします。そして観客は、ついには誰が善で誰が悪なのかわからなくなってしまうのです。

 もちろん、まだ最後の3部作のうちの第1弾が公開されただけですから、あえて多くの謎を残しています。にもかかわらず、この善悪の葛藤の部分だけがかなり明確に描かれています。

 この問いは、かつて中国の思想家孟子が議論していたものにほかなりません。

孟子(紀元前372年-紀元前289年)。中国の春秋戦国時代の儒学者。孔子の弟子。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。その思想は『孟子』から知ることができる。

 孟子は、次のように、人間の本性はもともと善であるとする性善説を唱えました。

人の生まれつきの情からすると、たしかに善とすることができる。それがわたしのいう人の性は善だということである。悪をなすものがあっても、それは素質のせいではない。
(孟子『孟子』)

 そして、自分が本来持っているものを自覚しないがために、悪を行うようになるというのです。面白いのは、そうした本来自分の持っている善を自覚するために、孟子が「浩然(こうぜん)の気」を養うよう説いている点です。浩然の気とはこの世界に満ちたエネルギーのようなもので、それを養うには、考えるよりも感じるほかないといいます。