私たちが消費しているのは物ではなく記号にすぎない
この物語には、フランスの思想家ボードリヤール※が論じたシミュラークルの議論を想起させるものがあります。ボードリヤールは、物を記号としてとらえ、消費を記号の受発信システムとして再構成した人物です。
つまり、私たちは物の使用価値を求めて消費するのではなく、むしろ記号の交換価値を求めて消費しているに過ぎないというのです。たとえば、ブランド商品は、使用価値が目的というよりは、自分の優越感や見栄のために購入されます。それゆえ、必要ないくせに、単に異なる記号だから新作を買うという事態も起こりうるわけです。私たちが消費しているのは物ではなくて、違う物、別の商品という記号にすぎないというのです。
ボードリヤールはこれを近代以降の特有の問題として批判します。つまり、ルネッサンス期から産業革命までの時代においては、記号の産出によってオリジナルの模造が行われていたのです。ところが、産業革命が起こると、機械制大工業によってモノが大量生産されるようになります。すると、もはやオリジナルの模造ではなく、テクノロジーによって記号が無限に複製されていくようになります。
これがオリジナルなき記号の模倣、シミュラークル状態です。かくして社会には、不必要な物があふれ出します。ちょっとした違いを求めて、際限なき欲望の追求が繰り返されるのです。