社会が狂気を悪にした
フーコーは、狂気について論じています。狂気というといかにも悪いことのようですが、それはあくまで権力によって悪にされたにすぎないというのです。
たとえば『狂気の歴史』という本で明らかにされているように、17世紀以前は、一般人とは異なる狂気は、人智を越えた自然の真理を告げるものであり、また崇めるべき天才の証だったのです。それが近代になって合理性が社会の基準になると、狂気は「大監禁」の対象にされてしまいました。つまり、当時の権力者にとって都合のいい人は理性的、そうでない人は非理性的とされたにすぎないわけです。
フーコーが暴いた権力の本質は、現代社会の様々な問題に当てはめることができます。学校でも少し変わった子がいると、問題児扱いしたり、挙句の果ては病人扱いしたりします。職場でも同じですね。変人だと社会から疎外されてしまうのです。
でも、アリスがそうだったように、社会の側が常に正しいとは限りません。変わった人には変わった人の役割があるのです。それを問題児扱いしたり、悪であるかのように扱うのは、フーコーがいうとおり権力の都合のいい解釈にすぎません。
誰もが平凡にしかものを考えられなかったり、平凡にしか行動できなかったらどうなるか? きっと世の中はつまらないものになってしまうことでしょう。ちなみに、原作者のルイス・キャロルも少し変人だったみたいですが、だからこそこんなに面白い物語が書けたに違いありません。
もしこれを読んでいる皆さんの中に、自分は変わっているとか、本当は周囲のほうが間違っていると感じている人がいれば、ぜひ自信を持ってください。そういう人たちのおかげで世の中は面白いものになりうるのです。決して周囲に染まることなく、変人を続けてください。変人でいいじゃないですか。素晴らしい人はみんなそうなのですから。
アリス・イン・ワンダーランド
<ストーリー>監督:ティム・バートン
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文/小川 仁志