平安時代の男女を記した「蜻蛉日記」
そんなブリジットの日記を見ていると、平安時代の日記文学の傑作、『蜻蛉日記』を思い出します。二股男への恨みつらみや、うまくいかない恋への素直な感情。これはまさに夫、藤原兼家に翻弄される作者、藤原道綱の母※が描いた女性の葛藤でもあります。
平安貴族の場合、男は気に入った女性のところにこっそり通い、女性はそれを待つというのが基本的な恋愛のあり方で、結婚もその延長線上にあったのです。訪ねる男と、待つ女。背景は違えど、ブリジットもそんな待つ女の一人でした。二股男と幼馴染、二人がアプローチしてくるのを待つしかないのです。
ところが平安貴族の男がそうであったように、男という生き物は複数の女性に関心を持ちます。平安時代は一夫多妻制だったので、それは仕方ないことでもあるのですが、藤原道綱の母はどうもそこが解せなかったのです。だからそのやるせない気持ちを日記にしたためたわけです。
ブリジットは現代イギリスの女性ですから、一夫多妻制はありませんが、それでも結婚前の男は複数の女性を選り好みするものです。いや、結婚後でさえも。そんな男の習性に翻弄される気持ちを、彼女もまた日記にしたためたのです。
洋の東西を問わず、いつの時代も男と女というのは、同じようなことをし、同じような苦しみを味わっているものですね。
面白いのは、『蜻蛉日記』の作者藤原道綱の母の持つ不満が、愛そのものの欠如にある点です。つまりそれは、単に相手が他の女性を愛しているという意味ではなく、そもそも純粋な愛を持っていないということです。当時の貴族の男性たちは、あくまで権力の象徴として女性を愛していたにすぎないのです。あるいは、母親への愛が屈折した形で顕在化し、女性を性的対象としてしか見ていないかのいずれかです。