運命と偶然が同時に起こっている

 フォレストの結論はこうです。「本当はみんな、それぞれ運命を持っているのか、それとも、みんな風に吹かれて漂っているだけなのか。でも僕は両方だと思う。多分両方が同時に起きるんだと思う」。多くの哲学者が運命と偶然や、人生を切り開くことの意味について論じてきましたが、こんなに素晴らしい回答は見たことがありません。フォレストの答えは哲学者以上だと言っていいでしょう。運命と偶然が同時に起こっている。

 ただ問題は、そうだとしてもいかに生きるかということだと思います。フォレストはそこまでは語ってくれません。この問題を考えるうえで参考になるのが、日本の哲学者 九鬼周造の偶然性に関する議論です。九鬼によると、偶然性の本質は、物事が同一性のうちにあるという意味での必然性が破れ、決して統合されることのない二元性になる点にあります。つまり、二つの別のものとして切り離されてしまうということです。

九鬼周造(1888-1941)。日本の哲学者。偶然性の哲学を説いたり、男女関係の視点から「いき」の精神について論じた。著書に『偶然性の問題』、『「いき」の構造』等がある。

 ところが、その二つのものが出合う瞬間が存在します。それが「離接的偶然」と呼ばれるものです。二つの別のものが、無数の可能性の中から出合うことで、偶然が生じる。九鬼はそこに無限の展望を見ます。「偶然性の哲学の形而上学的展望は、この現実の世界が、唯一可能な世界ではなく、無数の可能な世界の中の一つに過ぎぬとして、現実の静を動的に肯定することに存する」と。

 それゆえに、今手にしているこの偶然性に運命愛が生じるのだと言うのです。すべての偶然は無限の可能性の中から奇跡的に起こっているのだから、それがどんなものであれ、その奇跡を愛せよということです。これぞ「一期一会」にほかなりません。一期一会とはすべての一瞬を大切にするということですが、言い換えるとそれは偶然という奇跡を愛するということなのです。

 実は、九鬼は母親が美術家の岡倉天心と駆け落ちして生まれた子でした。それは九鬼が望んだことではなく、偶然そういう境遇に生まれ育ったというだけのことです。悩んだ挙句、最終的に九鬼もまたそんな運命を受け入れようとしたのでしょう。

 フォレストは運命と偶然が同時に起こっていると言いました。もし本当にそうであるのなら、運命を変えることはできない以上、私たちにできるのは偶然を信じて前に進むことだけなのではないでしょうか。仮に何が起こってもそれを愛する。そしてまた前に進む。フォレストは困ったら走りました。意味もなく、ただ走り続けたのです。

 フォレストはどう生きるべきか言葉にしてはくれませんでしたが、行動をもって私たちに語りかけてくれていたのかもしれませんね。「こうするしかないだろ?」と……。

フォレストガンプ
<ストーリー>
“人生は食べてみなければわからない、箱に入ったチョコレートと同じ"──。アメリカの激動する歴史を駆け抜けた、トム・ハンクス演じる青年フォレストの青春を暖かい感動で描写。

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文/小川仁志