「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。初の著書「3秒で心をつかみ10分で信頼させる聞き方・話し方」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)で披露された「仕事や人生を豊かにするコミュニケーション術」を聞きに昨年秋に取材をした日経ウーマンオンラインチームは、まさにその取材現場で「これぞ信頼を集める行動!」と感動するシーンを目の当たりにすることになった。

【大好評だった小西さんインタビュー】
■ ホンモノの神対応を取材現場で見せてくれた
 → 「「これが3秒で心をつかむ『ほんわかコミュニケーション』
■ 人に好かれるコミュニケーションの極意は
 → 「困る雑談『今日の天気』が効果大 誰でもできる会話術
■ 勇気づけられた40代からのリアルな「婚活話」
 → 「仕事も結婚も 人の話を素直に聞いたらこんなに変わる

 小西さんの魅力に打ちのめされてしまった取材チームは、第2弾のインタビューを決定。今度は小西さん自身のキャリアの軌跡にスポットを当て、「女性が組織の中でしなやかに、自分らしく夢を追いながら仕事を続けるコツ」についてじっくり聞いた。

本番中の「news every.」のスタジオを訪れた取材チームは、また爽やかなこの笑顔に迎えてもらった
本番中の「news every.」のスタジオを訪れた取材チームは、また爽やかなこの笑顔に迎えてもらった

「異例だらけ」の泥臭い挑戦の連続

――「news every.」で担当されている「ナゼナニっ?」コーナーでスマートに解説する姿や、他の出演者の方々と笑顔で掛け合いをする様子を拝見していると、小西さんは順風満帆にキャリアを積んできたように思えます。今に至るまではどのような道のりを歩まれてきたのでしょうか?

 私のキャリアを振り返ると、「異例」だらけで順風満帆とは程遠い、泥臭いチャレンジの連続だったんですよ。特に30代は私にとって怒涛(どとう)の時代。無我夢中で坂を登っていました。

 ざっと説明すると、私は兵庫県出身で関西の大学に進み、学生時代は当時無名スポーツだったラクロスに没頭。選手として日本代表に選ばれ、ラクロス自体の普及活動にも力を注いでいました。そのままスポーツの世界に進もうかとも思いましたが、周囲の勧めもあって就職活動を始め、とんとん拍子で読売テレビに入社。取材記者としてキャリアをスタートしたのが1993年のことです。

 阪神・淡路大震災、和歌山毒入りカレー事件などを担当しながら仕事を覚えるにつれ、「視聴者に代わって話を聞きに行き、伝える」ことにやりがいを感じるようになりました。

――弁護士の大平光代さんを取材したドキュメンタリー企画は、書籍として出版もされて発行部数200万部超のベストセラーに。小西さんにとって大きな転機だったのでは。

 はい。私がちょうど30歳の頃で、とても成長させてもらえた仕事でした。そしてその翌年、まさか自分に声が掛かるとは思いもしなかった「ロンドン赴任」の話が来ました。本当に驚きました。

 なぜなら、当時は海外の特派員というのは、男性の妻帯者がなるのが通例で、女性が単身で派遣されるというのは異例中の異例。ずっと憧れていたポストでしたが、まさか自分にチャンスが降って来るとは思わなかったのです。

 海外特派員は記者にとってまさに花形。ほんの一握りの人しかつかめないチャンスが巡ってきた。「行かせてください!」と即答したい気持ちが半分、でも、迷いも半分ありました。

32歳、この先の女の人生を考えて迷う

 30代は女性にとって結婚や出産などのライフイベントと重なる時期。「これから先の女としての人生を考えたら、ロンドンに行く選択は正しいのだろうか」と真剣に悩みました。任期は3年。ちょうど32歳の誕生日を迎えた頃でしたから、帰ってくる頃には35歳。当時は高齢出産の例も今ほど聞かれず、「もし子どもを産むとしたらギリギリだよ」と、もう一人の自分がささやきました。