「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。一見華やかなキャリアを築いてきたようにみえる小西さんでも「不安に押しつぶされそうな毎日を過ごしていた」というから驚きだ。「出口の見えないトンネル」をどうやって過ごしてきたのか、脱するためにどんなことをしたのか、詳細に語ってくれた。

実は、こんなに爽やかな小西さんも「不安に押しつぶされそうな日々を過ごした」経験がある

――現在、テレビにほぼ毎日出演され、解説委員として報道の第一線で活躍されている小西さんに、「不安に押し潰されそうになった日々があった」というのは本当ですか?

 本当ですよ。私の場合、大阪の読売テレビで記者としてキャリアをスタートさせて、スクープを取るために夜討ち朝駆けで夢中で取材して、女性初のロンドン支局赴任。帰国してからは東京に出てきて日本テレビで政治部記者、その後、キャスターとして新しいステージで力をつけていって……と、30代までは坂を駆け上がることに必死で進み続けてきました。

 人前で話したり、番組を回すための訓練を一切受けていなかった私にとって、キャスター職への挑戦は決して容易なものではなかったけれど、2006年4月、36歳の時に夕方放送の「NEWS リアルタイム」のサブキャスターに選ばれ、4年間、いわゆる「キャリアのキラキラ期」に身を置かせてもらったんです。今振り返っても華やかな時期でした。生放送のスタジオで月曜から金曜まで現場に行って取材してきたニュースを自分の言葉で伝えていました。

キラキラしていた40歳の誕生日から一転

 象徴的な思い出は、40歳の誕生日。白金のレストランでランチパーティーを開いて、共演者や友人、兵庫の実家から母まで呼んでお祝いをしていただいたんです。20人くらい来ていただいたでしょうか。ほんと、絵に描いたようにキラキラした誕生日でした。

――まさに順風満帆だったわけですね。

 そのキラキラな私は、そう長くは続かなかったんです。きらびやかなバースデーランチを楽しんだのが2009年の6月9日のこと。その翌年3月に、番組が終了することが突如決まったんです。私以外の出演者は、夜の番組の担当になったり、政治部や社会部に呼ばれたりと、次々と行き先が決まっていきます。私だけギリギリまで行き先が告げられず、もやもやと焦りが募っていきました。

 ようやく年度替わりの直前に言われたのが、「新年度から始まる新番組で、『企画取材キャスター』としてやっていってほしい」という辞令。新番組に継続して出演できるというと聞こえはいいかもしれませんが、「企画取材キャスター」とは、レギュラーではなく「いいテーマを見つけて自分で取材をして企画が採用されたら出てもらう」という不定期出演の立場になったことを意味します。

――とはいえ、新番組に残ったということで、周囲から見れば「充分に活躍している」というお立場では?

 そう映ったかもしれませんね。でも、人の気持ちって、その人にしか分からないものだなって、しみじみ思います。

 それまで当たり前のように自分の出番が用意されて、放送に向けて慌ただしく準備をしていた日常が嘘みたいに過ぎ去ってしまった私の心は、寂しさと不安でいっぱいでした。

 「いい企画があれば放送するよ」という言葉は、「いてもいなくてもいいよ」と言われているようにも聞こえて、出社して席に着いても「私、本当に必要とされているのかな」とネガティブな気持ちばかり襲ってきました。仲良かった出演者たちもバラバラに離れてしまった。