「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。読売テレビで記者としての実績を重ね、念願の海外特派員としてイラク取材も経験。帰国してからは日本テレビへ出向となり、政治部記者としてまい進。しかし、今のようにキャスターとしてテレビに出るきっかけは何だったのだろうか。いよいよ発売となる書籍「小西美穂の七転び八起き」(日経BP社)でも語った転機の中で、キャスターとしてのキャリアが開いた時について聞いてみた。

キャスターで番組を仕切るなんて、全くの未経験。想定外でした

――読売テレビで女性初のロンドン特派員の任期を終えて日本に帰国。この時、小西さんは35歳で、まだ「記者」という立場でした。そこから今のキャスター職にキャリアが展開するまで、どんな経緯があったんでしょうか?

 ロンドンから帰国してからの1~2年は、思わぬ転機の連続でした。

 日本テレビに出向、政治部記者としてのスタートを切ったのが2004年6月のこと。初めての東京生活で、毎日のように都心で迷子になりながらも孤軍奮闘していた日々は、以前もお話ししましたね(小西美穂「仕事にガツガツ挑戦する人生も悪くない」)。

 8カ月ほどたって少しずつ政治取材の何たるかも身に付き、「さあ、これからだ」という時、また思いがけぬ転機がやって来ます。ある日、番組を統括している部長に呼ばれて行ってみると、「今度、天才構成作家と食事をするから会ってみないか」と言われたんです。

――「天才構成作家」ですか!

 そうなんですよ。「天才構成作家って……、どういう方だろう?」と興味本位でうなずいた私は、指定されたお店に行き、部長に紹介される形で、藤田亨さんと初めてお会いしました。

 私におすしを勧めながら二人が話し始めた内容に、私は度肝を抜かれました。

 春から放送時間を拡大する夕方の報道番組(「ニュースプラス1」という番組でした)で、隔週で20分ほどの討論コーナーを新たにつくりたい。その司会を小西にやってほしい。

 え? 番組の司会を、この私が?

 番組の進行役などやったことのない私にとって、意外や意外、全く考えになかった役目でした。取材現場からの中継やレポートで、テレビに映る経験はあったものの、スタジオで論客の議論を仕切るなんて、全くの未経験であり想定外ですよ。

 「つまりね、『女版・田原総一朗』をやってほしいんだよ」。その一言の衝撃に、私は思わず、おすしをのどに詰まらせそうになりました。