震災をきっかけに「つながり転職」

 たび重なる給料の遅配によって、会社に対して不信感を持つようにもなっていたが、そのまま多忙な日々を送っていたある時、以前、アルバイトをしていたWeb制作会社の先輩と飲みに行く約束が入った。

 先輩に今の会社の愚痴を聞いてもらおうと出掛けると、待ち合わせに現れた先輩は、疲れ果てげっそりとしていた。聞けば、事業が急激に拡大して忙しくなり、忙しすぎて先輩の下にいた社員が突然二人辞めてしまったと言う。たった一人で仕事を抱えこむことになった先輩は、寝る暇もなく働いていた。

 そこで、咲子さんは、自身も忙しいにも関わらず「大変そうだから、手伝いますよ」と、忙しい仕事の合間に先輩のライティングの仕事を請け負うことにした

 そんな矢先に起きたのが、2011年の東日本大震災だった。咲子さんの実家は被災県にあり、家や家族は無事であったものの、地元は大きなダメージを受けており、咲子さんもしばらくは心配で仕事が手につかなくなってしまった。

 仕事中に思わず泣き出してしまったこともあったが、同僚からは「忙しいんだから泣いてないで仕事しろ」と理解が得られることはなかった。

 不安で心細い毎日を送る咲子さんのことを心配して電話をしてきてくれたのは、以前、アルバイトをしていたWeb制作会社の先輩だった。今の仕事のことを話すと「うちの会社に正社員としてきてくれないか」と誘われた。

 先輩の仕事を請け負ってやっているうち、「やっぱり書く仕事は楽しい」と再認識したこともあり、咲子さんは転職を決意。ただし、給与遅配でしんどい思いを抱えていたこともあったため、「お金のことはきちんとしたかった。以前の会社よりも多くもらえるように、交渉もしました

小さなベンチャー企業の大きな成長を支える一員に

 Web制作会社に正社員として迎えられた咲子さん。アルバイトしていた頃は10名ほどの小さなベンチャー会社だったが、事業が好調であったこともあり社員30名以上の会社に成長していた。その一方で社会保険や社則、給与制度などが整備されておらず、辞める人も多かった。

 咲子さんは「社長は、『誰とやるかが重要』『人が一番大事』と言いますが、そんなに人が大切ならば、社員が安心して働けるようにきちんと整備した方がいいですよ」と提案。社労士と総務の社員と共に社会保険や社則など、基本的な会社としての制度を自らが中心となって整備した