ハンドラーへの憧れは幼少期から

 私は生まれも育ちも北海道で、小さいころから父の単身赴任先に行ったり、家族で旅行したりと、飛行機に乗る機会が多くありました。そのときに、窓の外で手を振ってくれるハンドラーの人たちがすごくかっこよくて、「私もああいう風に手を振りたい」と強く思ったのがはじまりです。機内のスクリーンに映る、大きな機体を誘導する姿にも憧れました。

 高校を卒業する時点でこの仕事に就くための専門学校に行こうかとも思いましたが、他にやりたいことが出てくるかもしれないと、いったんは短大に進学。それでも気持ちは変わりませんでした。当時は女性のハンドラーの採用は羽田空港のみで、6年満期の契約社員。北海道出身者は採用されないだろうと思い、勉強のつもりで受けてみたら、あれよあれよと選考を通過して就職が決まりました。女性の同期は10人ほど。その後、社員登用試験を受け、2010年に正社員になりました。

山下さんは2004年入社。今年で13年目、インストラクター歴も10年を越えた

 入社して最初の3カ月は研修期間です。まずはボーディングブリッジの着脱を覚え、やがて念願だった航空機の見送りもできるようになりました。窓から手を振り返してくださるお客様の姿って、こちらから鮮明に見えるんですよ。今でもうれしい気持ちになる瞬間です。

夏は体感50度、冬は指がかじかむ現場

 ハンドラーの仕事は一つ一つに資格が必要で、コンテナを積み込むハイリフトローダー車の操作や、出発する機体を駐機場から押し出す作業など、100以上の資格があります。私もまだすべての作業ができるわけではなく、さらなる技術と知識の習得が必要です。

入社以来使っているヘルメット、責任者を示す蛍光色のベストとともに、必ず身につけるのが腕時計。「飛行機の出発時刻を目指して分刻みで作業しているので、計算しやすいアナログを愛用しています」(山下さん)

 体力もすごく必要で、ときには何トンという重さの貨物を貨物室に押し込まなければいけないことも。それでも、男性との体力差を意識したことはないですね。中学、高校とバレーボール部でけっこうハードな練習をしていたからでしょうか。就職してしばらく経ってからジムに通おうと思って筋肉バランスを測ったら、上半身だけ異様に発達していて驚きました(笑)。

 夏は、アスファルトの照り返しで作業中の体感温度は50度近く。かたや冬の雨の中では軍手をしていても指先の感覚がなくなりそうになります。そんな環境でも12年間続けてこれたのは、やっぱりこの仕事が本当に好きだからだと思います。

文/谷口絵美 写真/品田裕美

山下寛子(やました・ひろこ)

ANAエアポートサービス ランプサービス部。1983年生まれ。契約社員として2004年6月に新卒入社。2010年4月1日に正社員となる。貨物の積み下ろしや、到着機の誘導などを担当するグランドハンドリングとして活躍。天候に関わらず出発便をスピーディーかつ安全に送り出す、チームワークと素早い判断が求められるお仕事。危険な職場での業務だが、常に危険予知を行い、先読みしながら的確に業務を行っている。

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