働きながら、デザインの専門学校へ

 「没落」したことはショックでしたが、上司は面談で愚痴を聞いてくれたり、なんとか鼓舞しようとしてくれたりして、会社を嫌いにはなれませんでした。

 同じ頃、仕事の仕方に対しても、考えに変化がありました。クライアントや営業からの要望を受けて考えた紙面のイメージを、「自分で1から10まで形にしたい」と思うようになっていたんです。

 デザイナーやコピーライターなど、他の人にアウトプットを依頼する過程で、自分がイメージしたものとは少しずつ変容していくことに違和感はずっとありました。それで、働きながらデザインを学ぼうと夜間の専門学校に入学することにしました。

専門学校を受けると決めてから、平日は会社、週末はデッサンの勉強という生活を始めたそう
専門学校を受けると決めてから、平日は会社、週末はデッサンの勉強という生活を始めたそう

 ところが、こちらも思うようにいかなかった。非常勤で教えに来ていたとある先生に、「君たちはものづくりにおいて、芸大や多摩美、武蔵美を出ている人たち以下だと覚えておくように」と授業で言われたんです。つまり、何か秀でたものがない限りはずっと誰かの下で働くことになる、ということ。「何てことを言う人だ」と思う一方で、それが社会の摂理なんだよな、とどこか納得もしてしまいました。

 この先に待っている進路は、中堅どころのデザイン会社に入るか、大手広告代理店の子会社に潜り込むか、有名なデザイナーの個人事務所に奇跡的に入るか……。そうやって選択肢をイメージしていったら、どれもピンと来なかったんです。