期待 → 失望という流れを断つ
明子さんが「ケチ」という認識を離れるためには、期待が失望に変わる悪い流れを断つ必要があります。前述した通り、明子さんの期待には、“自分と同じように彼も考えているだろう”という期待と、“自分が考えていることを言わずもがなで察してくれるだろう”という期待の2つがありました。
どちらの期待もその根っこには、“自分と彼の価値観が同じであってほしい”という、より包括的な期待があるように思います。
価値観が食い違うのは当たり前!?
我々はここで、だから彼に期待するなという話をしたいわけではありません。好意を持った相手に期待することは、ごく自然な心情です。
大切なことは、価値観が食い違って自分の期待が叶わなかった時に、失望するのではなく、それを当たり前のこととして受け止め、そこで明らかになった価値観の違いを擦りあわせしていくことなのではないかと思います。
会話と対話
そのために導入したい考え方が、「会話(カンバセーション)」と「対話(ダイアローグ)」の違いです。これは劇作家の平田オリザさんが『わかりあえないことから』という著書のなかで論じている考え方です。平田さんによると、両者は次のように定義されます。
対話 = あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその擦りあわせなど。
(『わかりあえないことから』講談社現代新書、p95-96)
明子さんと彼はまだ出会って間もないのですから、対話によって価値観を交換し、それが食い違った時には擦りあわせを行っていくことが望ましいのではないかと思われます。