“変”かどうかは考えても仕方ない?
そんな中で出てきたのが、前ページで挙げた(1)の疑問でしょう。相手の気持ちが読めないし、確かめるのもかなり怖い。だから「こちらが変なのか」と自分の中に原因を求め、「そこさえ修正すれば状況が改善されるかも」という部分に活路を見いだしたくなる……。おそらくこの疑問は、現在の不安を緩和したいと願う気持ちから発生しているものではないかと思われます。
しかし、彼との関係を考える上では、「セックスする=好き」という感覚が“変”かどうかを気にしても、実はあまり意味がありません。変か普通かというのは何を基準にするかで変わってくるし、仮に変だとしても、最終的に彼と恋人関係になれさえすれば万々歳だからです(つき合う前にセックスすることが“軽い”かどうかも、同様の理由で気にしても仕方ない問題です)。
もっともこれは、「また好きな人がセフレになっています」という表現が示すように、これまで何度も同じような経験をしてきた結果としての疑問でしょう。聡子さんは「変でしょうか」と言っていますが、これは反語的表現で、つまり「いや、変じゃないだろ」と思っているわけですよね。
自分としては、好きだからセックスしている。だから当然つき合いたいという思いがある。それはごく普通のことだと思うが、なぜか相手は同じ気持ちじゃなさそうだ。それがよく分からない。しかもワンナイトではなく、何度もセックスしてるわけで、一体どういうことなの? 変なのは私のほうなの?
……と、聡子さんの言葉からは疑問を通り越し、もはや“憤り”にすら近い気持ちを感じます。
実は「満たされていない欲求」のほうが問題?
変かどうかを気にしても仕方ないなら、どう考えればいいのか。そこで提案したいのが、「欲求」という視点の導入です。この視点で整理すれば、聡子さんのモヤモヤはかなりクリアになるかもしれません。
というのも、彼とのセックスは一応、「聡子さんがしたくてやっていること」ですよね。人によっては相手との関係を“つなぎ止めるため”にセックスしているケースも少なくありませんが、聡子さんは、好きな人としたいことをしている。だとするなら、これはむしろ“喜ばしいこと”になるはずです。決して「させてあげている」わけでもないし、「無理やりされている」わけでもない。セックスは聡子さんの「主体的な欲求」でもあるわけで、まずはそのことをちゃんと認めてあげるべきです。
ではなぜモヤモヤするのかというと、それは、今の状況では「満たされていない」欲求があるからです。
相談文には「セックスしたい」と「この人のことを知りたい、仲良くなりたい、手をつなぎたい」という気持ちが同列だと書かれていますが、おそらく聡子さんの中では、セックス以外の欲求が満たされていない。だから現状に不満を抱いているのではないかと考えられます。