不合理と非効率が繰り返される理由

 保護者は在籍児童の親ですから、子どもの入学から卒業までの数年しかそこにご縁はありません。公立小の教員も2〜5年程度で異動しますから、それでなくともたくさんの児童のケアと業務に忙殺されるうえに腰を据えてじっくり学校改革に取り組むには、よほどの気概が必要。

 大人たちはみな行きずりであり、学校やPTAへの不満なんてなんならその数年だけ我慢すればやり過ごせるものであり、やがてみんな赤の他人になるのです。そこで1年でも2年でも、自分の仕事や子育ての合間の時間を学校PTAのために割いて、まして組織に変革をもたらそう、合理化しようなんてするのは「英雄」、またの名を「奇特な人」です。

 その奇特な人たちが、ある年に合理化に成功したとしましょう。でも、翌年に引き継いだメンバー(保護者も、先生もです)が同じ思想であるとは限らず、また同じスキルを持った人であるとも限りません。

 「去年の人たちは、ワーママばかりだったからなんでも無味乾燥に合理化してしまった。今年は余裕がある人たちばかりなので、子供達のためにもっと”丁寧に”取り組みましょう」と、あくまでも”善意”から一度シンプルにしたものをわざわざ戻す例は、枚挙にいとまがありません。

 例えば、ある年度の保護者たちがものすごい労力をかけて廃止したPTA自体が、のちの保護者たちによって復活した学校があります。それは「本校だけが区のPTA連合会に入っていない。そんな仲間はずれの学校に通うなんて、子どもがかわいそう」という、同調圧力とも呼べる不思議な”善意”が理由でした。

日本のPTAが変われない理由(C)PIXTA

 つまり、短命なPTA組織では、マイナーチェンジはできるものの、本質的なシステムを変えることは困難なのです。中長期のスパンで安定的に取り組む「PTA人材」が必要なのです。

 PTAの本質を変えられない一番の理由は、日本PTA全国協議会という地域<市<県<全国のピラミッドでできた統括組織に責があると私は思っています。仕事がそこから下りてくるんです。

 学校と保護者と地域コミュニティと警察でできたシステムに一般のPTAが組み込まれ、学校内の行事運営も忙しいのに自治体での名誉会議に招集され、身動きできない。この組織は大きすぎて、旧態依然のまま現状維持することが目的化してしまっているんです。

 学校PTAのあり方や活動内容は現行のまま様子見、とするこの組織の考え方にドラスティックな変化が生まれない限り、日本のPTAは変われません。