「しんどさ」や「苦労」との向き合い方について考える

 清水さんを「無責任」「若いうちは安い月給で苦労するのが当たり前」と激高気味に苦言を呈していたのは、アラフィフのベテラン男性司会者。そこへ、多くの売れっ子芸能人も「そうそう、若いうちはそういうものですよね、まったく最近の若い子は」と相づちを打ちます。私も40代団塊ジュニアのど真ん中、これまでゴリゴリとお互いに競争して、そのためにはいろいろなことを犠牲にしてでも生き残るのが当たり前という感覚で生きてきた世代として、彼らの考え方は一部理解できます。

 その理屈と枠組みの中に組み込まれて生き、まして勝ち残ってきたならなおさら、「苦労は美徳」「人に迷惑をかけない」という精神論にすっかり巻き込まれてしまい、疑いがないのです。自分にはできたことをできないと言ったり、逃げたりする若い世代を見ると、それは甘えだと感じてしまうのです。

我慢や忍耐は必要なのか。逃げるのは悪なのか (C)PIXTA
我慢や忍耐は必要なのか。逃げるのは悪なのか (C)PIXTA

 つまり、精神論が跋扈(ばっこ)していた社会の勝者は、本人が意識しているいないにかかわらずそういうメンタルをたたき込まれており、精神論が得意で、ついでに他者にもそれを求めてしまうのですね。だって、個人の精神崩壊よりも「周りに迷惑をかけない礼儀」や「安月給で下積みする美しい努力」を「常識だ!」と言って優先しているんですよ?

 ところが、別の名ラジオパーソナリティーは「芸能人で今売れちゃってて発言権のある人のコメントなんて、正しい・正しくないではなく参考にならない」と指摘します。まさにその通り。勝ち残ってきた人は、勝つ方法しか知らないからです。

 ところが、時代の潮目は変わってきています。その勝ち続けてきたはずの人々がさまざまな犠牲の上に成立させた連勝の先にあるものが、若い頃の想像とは違う、経済の下降と縮小、出世のゴールとなるポストも激減した社会でしかないことに、彼らはぼうぜんとしています。今、40代や50代の彼らは、次々と擦り切れて疲弊し、折れ始めているのです。