人生100年時代、私たちどういう「オバサン」になればいいの?

 誰もが100年生きうる時代、いわゆる「人生100年時代」がやってきたと言われ、静かな衝撃が広がり始めたのはこの2、3年のこと。理屈では100歳まで生きることがありうるとはわかっていても、あらためて自分の人生が本当に100年になることを想像すると、そこには期待よりも不安の方を感じる……というのが、私たちの素直な感想ではないでしょうか。

 近代までは寿命なんて数十年、有名な政治家や芸術家だって60代まで生きれば長生きだったものが、今や日本の60代は「ちょいワルオヤジ」や「アデージョ」のほんのちょっと先としてまだまだ元気いっぱい。医療技術の発達によって、出産可能年齢も理論上は上がり、女性の生き方の選択肢も大いに増えました。

 男性も女性も、どのようにでも生きられるぶん、どう生きようか迷うこともできるようになった。孔子は「齢、四十にして惑わず」と言ったものですが、いまや惑っている40代なんてたくさんいます。人生100年時代とは、成熟「からの」人生も長くなったけれど、成熟「までの」間も長くなったように思うのは、私の気のせいでしょうか。

 昔は40代と聞けば即オバサンだと思ったものですが(失礼!)、いま40代をオバサンと呼んだら、正直、40代はいい気持ちはしません(笑)。30代の皆さんが「私、いつになったら落ち着くのかな……」と漠然とした不安を抱くのと同じように、年齢的には落ち着いているはずの「オバサン」当事者たちだって、「えっ、私たち『オバサン』なの? まだ……違うよね?」と顔を見合わせつつ、では自分たちがどういう姿であればいいのか、迷っているんですよ。

 そこで出てきたのが「40代女子」という斬新な組み合わせの言葉です。さらに時が進み(つまり彼女たちが年を重ね)、「50代女子」「60代女子」まであわや出現というところで、おそらく自主規制で大きく広まることはなく落ち着いたのが現状です。

今の「40代女子」、めちゃめちゃ元気ですよね (C)PIXTA

 私は、自分自身が40代に突入して「年齢的オバサン」となり、精神的にも「もはや自分はオバサンカテゴリである」ことを受け入れた頃から、なるほど、オバサンになることはそんなに怖くないとようやく理解しました。むしろ、オバサンとしていかによく生きるかのほうが大事だと。そして、かつて目の上のたんこぶと思っていたような先輩オバサンたちを思い返し、同世代や上の世代のオバサンたちを見回し、垂直方向にも水平方向にもオバサンリサーチをしてみて思いました。

 「ああ、成熟とはとてもカッコいいものだ。年齢を重ねて『自分が何者か』を分かっている女たちは、他人が何を言おうと揺るがない。私が昔、目の上のたんこぶと思って怒っていた先輩オバサンたちは、今の私と同じように、カッコよく生きることに憧れながらも自分に正直にまだ揺らいでいた。その渦中の姿に私は自分の揺らぎや不安を投影してイライラしていたんだなぁ」