「『若者』をやめて『大人』を始める」に小さく悲鳴を上げる
選択肢が多様に広がったからこそ、生き方が定まらない。
気が付いたらもう”いい歳”。立派な「大人」になれた実感、ありますか?
「成熟のロールモデル」が見えなくなった現代において、「若者」を卒業し「大人」を実践するとはどういうことか?
熊代さんは書きます。
そして耳が痛いのは、
現代では、就職も、結婚さえも「アイデンティティのゴール」にはなり得ないということ。現代の都会人のライフスタイルは、「いつまでも若く」を目指し成熟を拒否・否定してしまっていたのではないか、とも熊代さんは指摘します。でもその結果が「何者にもなれなかった中年」の大量生産です。
ただ、救いがあります。「趣味や課外活動もアイデンティティの構成要素になる」「揺るがない自分が生まれると、足下が固まるがオジサンオバサンにもなる」
何者にもなれないままオジサンオバサンに「なる」のは、「醜悪な加齢」かもしれませんが、趣味や課外活動を通じて自己の内面を知り、自分が何者であるかを確立した上でオジサンオバサンを「引き受ける」のは理想的な「成熟」なのだと感じました。そして、「自分が何者であるか」を模索する過程で平凡と折り合いをつけるのも、一般人である私たちの成熟には必要な作業なのかもしれません。
退屈したつまらない人間にならないために、人は何かにハマっていていいのですよね。一見平凡そうに見えて、内面は超絶充実して日々エキサイティングな成熟した「オタク中年女子」、ご一緒にいかがでしょう?
文/河崎 環 写真/PIXTA