自分は被害者になるわけがないという思考停止

 川上と川下、権力の不均衡のメカニズムにおいて、自分が川下になるわけがないと常に信じ切っている人は、川下の様子に1ミリも想像力が働きません。

 セクハラの罪深さが一向に一部のオジサンに伝わらないのはそのせいで、だからセクハラを認識できないオジサンが大量生産されて「女たちがセクハラセクハラ言うから、そんな社会じゃもう社内恋愛なんか生まれない」などと無邪気に嘆いてみせるわけです。なぜ恋愛の前段に「セクハラ」が必要条件だと思っているのか、あとなんで「社内」なんだそれ以外はいいのかとか、それまでの恋愛経験も含めていろいろ疑問の多い発言ですが、本音レベルでこう思っているコミュニケーションスキルの貧しい男性は実に多い。

 つまり、恋愛関係や性的な関係に踏み出すために、セクハラめいた言動以外の表現方法を知らないので、自己正当化したいのでしょうね。

 パワーバランスのあるところに、ハラスメントは起きる。つまり、ハラスメントに注意すべきはパワーバランスの生じている場面なのです。そして何が問題って、そのパワーバランスに乗じてセクシャルな関係を持ち込もうとするのが一番の問題なのです。

 情報源たる「重要な人物」と「記者」の間には、情報と権力の明らかなパワーバランスが生じています。記者の側から見れば業務です。情報の対価を求められるのであれば、食事なりあるいは別の情報なりで接待し、そういう信頼関係を結ぶ。それこそあらかじめ織り込まれた「対価」です。

 そこで、川下にいる人を、男性としましょう。川上の「重要な人物」は女性(十分起こりうる状況です)でも男性でもいいです。ここで川上から川下へ「体触っていい?」「手縛っていい?」「浮気しよう」との執拗な会話が生じたとしましょう。1年半にわたって、気に入られたらしく何かと呼びつけられては酒が入り、そんな会話でひたすら肝心な「情報」ははぐらかされ続け、聞きたくもない露骨な性的関心がダダ漏れの言葉を投げつけられ続けたとしましょう。

 きっと、川下の男性は当惑を通り越して「バカ言ってんじゃねえぞ」と思いますよね。「なんだコイツ、ポストの割にしょーもない奴だな」と軽蔑するでしょう。「いいかげんにしろ、コイツのキャリアに終止符を打ってやる」と、堪忍袋の緒が切れるのも分からなくもありません。いや、そもそも、川下の男性に向かってこんな「体触っていい?」「手縛っていい?」「浮気しよう」なんて露骨な言葉が浴びせかけられるシチュエーション自体、一部のオジサンはイメージできないのです。

 川下の存在がひとたび「女性」であると、たやすく当たり前に日常茶飯事レベルでイメージが湧きやすく、そして実際、起きている。なんなら「それは対価だ我慢しろ、(女性)記者の仕事とはそういうものだ」「そんなことにいちいち目くじら立てるなんてナイーブ」と言い込められる。かばわれないどころか共感さえされず、「『女の武器』が使えていいよな」「なんだかんだ文句言うけど、女もうまいことやっていい目にあったくせに」なんて、見当違いの批判を受けることさえある。

もっと、想像力を働かせるべきです (C)PIXTA
もっと、想像力を働かせるべきです (C)PIXTA

 でもこの当事者が男性で、会社のパワハラだったり、家庭のモラハラだったり、学校のいじめだったりしたら、男性同士で共感が集まるでしょう。自分がその弱者の側に立つという可能性があれば、状況や思いに想像力を働かせることができるでしょう。

 思考停止とは、「自分には関係あるはずがない」という「思考の限界」でもあります。そんな限界を露呈するオジサン多発のこの件、まとめて「オジサンに絶望」した女性たちは、今後もこうしたパワーバランスを悪用したひきょうをひっくり返していくのだろうと思うのです。同様に、女性もパワーバランスのひきょうに決して安住しない、風通しのいい人間であり続けたいですよね。

文/河崎 環 写真・イラスト/PIXTA