「作者のお母さんみたいになりたい」

 「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由(ワケ)」は、ツイッターやインスタグラムで「#死ぬ辞め」などのハッシュタグで、感想がたくさん投稿・拡散されています。

 その中に、「私は作者のお母さんみたいな人になりたい」との印象的な声がありました。

 この本の中で、以前ハローワークで働いていたこともある作者のお母さんは、長時間労働と深夜帰宅の続く娘にこう声を掛けるのです。

 「先輩や同僚のほうがもっと残業しているから帰れない、なんて言うんなら、その人たちに任せて帰ればええやないの。その人たちは平気でできるんやろ? アンタはできへんのやから、できる人がやった方が効率的やないの」

 「今日ハローワークに来た人、会社の指示通りに仕事をした結果身体が不自由になって、会社は責任もとらんとクビにして。でも身体不自由やし、次の仕事も決まらなくて。自分の体がおかしくなってるかもって思ったら我慢したらあかん。会社はいちいちあんたが本当に大丈夫かなんて考えてくれへんよ。全部我慢して体壊して仕事しても、誰も感謝してくれへんし責任もとってくれないんよ」

 逃げてもいい、逃げなさい、と他者に声を掛けてあげられる人は、自分こそが昔、逃げられずに自分を追い詰めてしまった経験をした人なのだと思います。

そう、逃げてもいいんです(C)PIXTA
そう、逃げてもいいんです(C)PIXTA

 「つらい」と思っている人に、理由なんかありません。理由があったとしても、それが客観的に見て合理的かなんて、関係ありません。その人にとっては、「いま」「とにかく」「つらい」のです。心と体が悲鳴を上げているのです。

 うつ状態にあった頃の私は、完全に追い詰められた精神状態の反映なのでしょう。当時日本を代表する優秀な女性が「適応障害」と診断されて公務から離れるとの報道に、「鳴り物入りで自分で決めて入ったのに、そんなふうにして逃げるなんて弱い」と怒りさえ感じていました。人を追い詰める人間は、実は自分も追い詰められているのだと、今振り返ると思います。

 自分をむしばみ、やがて死に至らせるほどのつらい状況から一旦離れるために、「逃げていい」「休んでいい」。

 そしてそれを身に染みて知っている人は、ぜひ他者にもそう声を掛けてあげてほしいのです。お互いに追い詰め合う社会には、汐街さんが漫画に描いた、あの暗闇にそびえ立つ険しい道しか残されないのですから。

文/河崎 環 写真/PIXTA

【参考】
「『死ぬくらいなら会社辞めれば』ができない理由(ワケ)」(汐街コナ著/あさ出版)