自分の時間を何に使うかという選択

 でもよく考えると、家事代行を使うからといって、コンビニ飯を愛食しているからといって、「丁寧に暮らしていない」わけではありませんよね。

 暮らしにはいろいろな側面と瞬間があるわけで、自分が丁寧にしているところ、力を入れたり大事にしたりしているところが「家事ではない」というだけなのではありませんか? その分、仕事や趣味や人間関係に時間を割いて人生を豊かにするという選択だってあっていいはずです。

 家事代行は今や、共働きのためだけではありません。未婚女子だって、未婚男子だって、専業主婦家庭でも、フツーに活用していいはず。実際、利用者は増えています。

 とあるワーママによると、「『自分で頑張ればなんとかできなくもない』の心理的な壁を越えるまでが結構大変なんです」とのこと。でも一度越えてしまえば、「なんだ、こんなに簡単に快適な生活空間を手にできるなんて、もっと早く頼めばよかった」と思うのだとか。そして不思議とあれもこれもとお願いしたくなるのだそうです。

 もしかすると、家事代行を使う・使わないというのは単純に生活習慣や家庭の文化の問題かもしれませんね。もともと家族以外の人が多数出入りする家庭に育った人や、これまでにもお掃除サービスを使いこなすなどして「家の中の他人に慣れている」人は、(自分で髪を切るのではなく)美容院に行ったり、(自分で洗うのでなく)服をクリーニングに出したり、(自分で買って運ぶのではなく)生協などの食料宅配サービスを利用する延長で、家事代行やベビーシッターさんに来てもらうのかもしれません。

「今日はプロジェクトの打ち上げ! 今ごろわが家では、家事代行のスタッフが私のベッドシーツを洗ってくれているはずです」  (C)PIXTA
「今日はプロジェクトの打ち上げ! 今ごろわが家では、家事代行のスタッフが私のベッドシーツを洗ってくれているはずです」  (C)PIXTA

 そういえば昔、祖父母やその前の世代にだって、庭師さんや酒屋の御用聞きさんなど、いろいろと家事にまつわるサービスはあったものです。でもその中で、それこそ何でも手作りして次の季節に備えるような丁寧な暮らしがきちんと紡がれていた。

 だから私たちはプレッシャーなんて感じなくていいのです。結局、人間には24時間しかないのですから、時代の変遷に従って何に時間を使うか、何に価値を置くか、私たちのライフスタイルが変わるということなのですよね。

 私も、原稿の締め切りが迫っていなくて時間のある時には、うどんだってゆでますし、ねぎも自分で刻むし、頑張ってだしだって取ろうと思います(笑)。

文/河崎 環 写真/PIXTA