親とは、つねに厄介なもの。皆さんはそんなことはありませんか?

 もう40代の私でさえ、ほとんど連絡をしない実家の父からたまに「環さんお元気そうですね。当方はこの春も何時(いつ)もの花粉症に悩まされて居(お)りますが、ときどき貴女の名前をグーグル検索して貴女の活力ある文章を読むのが密かな楽しみです。この間の○○などはなかなか興味深く読みましたし、○○はアッハッハと大きな口を開けて笑いました」なんてメールが送られてくると、娘の私は実のところ割と過激ではしたなくて「親に読ませられない」文章をこっそりあちこちで書き散らしているもので、「知らせてない文章を検索してまで読むなぁぁ!」と机に頭突きして軽く死にたくなります。

 いえ、厄介なのは親よりも、実は私たちのほう。

「うれし恥ずかし」な父からの連絡

 オフィスで、恋愛の場面で、あるいは家庭で、泣いたり笑ったり怒ったり、傷ついたり傷つけたり。今の社会は女にあれもこれもと求め、真面目な私たちは求められる期待にはつい応えて頑張ってしまい、過重労働と感情の起伏とにクタクタになって、ろくに実家へ連絡などできずにいる。

「元気にしとるか?」 (C)PIXTA

 それを親もどこかで気付いているからこそ、あちらからそっと声を掛けてくるのですが、その声の掛け方にはどこか娘としてうれし恥ずかしな部分があって、つい「もう、やめてよ! 私だって大人なんだからほっといてよ!」なんて、差し伸べられた手にかみ付いてしまうことはありませんか。

 「どうして、こんなに頑張っているんだろう?」などと答えの出ない問いは意識的に無視して目の前の仕事と人間関係を精一杯こなす日々。でも、そんな疲弊した私たちを正気に戻してくれるのはたぶん、私たちをありのまま受け入れ包み込んでくれるようなユーモアと愛。それを兼ね備えているのは、もしかして私たちの「父親」なのかもしれません。