30代女子から見る「父」

 さて、今、30代を迎えている日本の「働き女子」たちも、実家の父親へいだく思いは複雑なようで素直だったり、素直なようで複雑だったり、さまざまです。

【Aさん・30代前半】

 私は長年父とはあまりコミュニケーションを取っていません。実家は自営業で、私が中学生の頃、大口の取引先が夜逃げのようにいなくなり、母が働きに出ることになりました。当時は弟も小学生で、母は家事との両立でかなり忙しかったと思います。ある日、母が自宅で倒れて動けなくなっているところを、父は母がふざけていると思って介抱しなかったことがありました。その話を聞いた私は「あんたが稼がないからだろ!」と正義感を振りかざして父に怒りをぶつけ、以来、実家に帰っても父とはさして話もせず、父と出かけたり、父に何かを送ったりすることもほとんどありませんでした。「稼がない大黒柱」という存在に怒っていたのです。

 30歳を過ぎて、自分がフリーランスになっていろんな人と仕事をしなくてはいけない状況になったとき、口下手で職人気質の父親がうまく営業もできず、そのことに自分でもイライラしながら、それでも投げ出してやめるわけにもいかず、黙々と(娘に無視され続けながら)仕事に明け暮れたのは、今の自分よりよっぽど大変だったろうなあ、と考えるようになりました。最近、戸籍関連の手続きが必要だったので久々に父に電話をすると、忙しいはずなのにすぐに電話に出てくれ、ついでに早口で矢継ぎ早に私へ2つ3つ質問し「じゃあね、またね」と言った父の声が明るかったので、いまさらですがもう少し話をするようにしよう、と思いました。

【Bさん・30代前半】

 もともと頑固な理系サラリーマンだった父は、退職してから農業を始め、ブログまでつける熱心さ。幼少の頃、お風呂で父に「お母さんと私が海で溺れてたらどっちから助ける?」と、どこかで聞きかじった質問をしてみたら、熟考された末に「やっぱり、お母さんかな!」と言われて、ちょっとびっくりはしたものの、そんなにショックではなくて、「そういうものか~」と思ったことを今でも覚えています。また、母が教師だったので、土曜の半ドンの日だけは父が昼食係でしたが、理系男子な割にあまり料理の得意でない父のメニューはいつもカップラーメンとスーパーのお総菜のコロッケの組み合わせで、それを食べられる土曜日は、学校から帰ってくるのがむちゃくちゃ楽しみでした。

【Cさん・30代後半】

 大人のふりをした子どものような父。小さな企業の経営者で従業員に厳しく周囲はハラハラ、偉そうにしているが肝は小さい、家庭ではいつも自分中心でかまってちゃん、母への感謝は薄く過去浮気を何回も……と挙げたらキリがないですが、なぜか私は許せてしまっています。物理的・精神的に距離を置いているからでしょうか。私は社会に出て家庭を持ち子どもを育てる中で、父を情けないと思うときもありますが、「手のかかるしゃーない男子」と諦め半分、むしろおかしく楽しんで見守るようになりました。どうしようもないところがあるのに憎めない、朝ドラに出てきそうな父です。

 私が新卒で入った会社は昔父が憧れていた業界だったようで、私が仕事が決まったことを伝えた日は「うれしすぎて眠れなかった」と後で母から聞きました。私がかかわったプロジェクトを毎回ホームページでチェックしたり、今では孫の運動会に行くことを楽しみにしていたり、心の底ではやはり子どもや孫を思ってくれているのだという実感はあります。年を重ねて丸くなったなとも感じます。

【Dさん・30代後半】

 明るくて社交的、新しいことに挑戦したがる父は、私とは性格は真逆だけれど顔は激似。仕事も結婚もちゃらんぽらんな人生を送っている娘に特に何も言わず、やりたいようにさせてくれることに感謝しており、関係も良好です。ただ、以前一度父がパニック障害になってしまったときは、普段の明るさが消え、一人で電車に乗れないまでになってしまった姿を見てショックを受けました。その時どうして良いか分からなく力になれなかったのを悔やんでいます。今は、完全復活して笑顔も取り戻した父。久しく実家に帰っていないので、父の日に合わせて帰ろうかなと思います。