「この人は、自分と違う立場の人間がいるってことを本当にわからないんだな」——。
 
 作家・角田光代さんの第132回(2004年下半期)直木賞受賞作品、「対岸の彼女」。その中盤で、育てづらい子どもを保育園に預けて「お掃除おばさん」として働き始めたばかりの主婦の小夜子が、とある過去を持った同い年、同じ大学出身の独身女社長である雇用主・葵(あおい)の「ねえ、このあと温泉に泊まっていかない?」と誘ってみせる自由な言動に触れて、心の中でつぶやいた言葉です。

小夜子 「楢橋さん(筆者注:葵)も家庭を持てばわかると思うけど、やっぱり前もって決めておかないと色々面倒なことになっちゃうのよね」
 「そうだね。気安く誘って悪かったわ。私は待っている人もいない気軽な身だから、もう少し遊んでく」
(「対岸の彼女」角田光代著より引用)

 新事業の前祝いとして一緒に行った、熱海の日暮れ。「既婚子持ち主婦」と「独り身の女性零細企業経営者」の間に流れる川がお互いの気持ちを冷え込ませ、二人はそれぞれの「対岸」へ静かに引き返してしまいます。

あなたがいる「岸」は、誰のどんな「対岸」ですか

 この作品が発表され、直木賞を獲得した2004年当時。私はとてもじゃありませんが、角田光代さんのこの小説をちゃんと読むどころか、表紙さえ直視することができませんでした。早くに結婚し、「既婚子持ち兼業主婦」として限られた時間でライター業をしていたその頃の私はまさに「小夜子」であり、一方都心のオフィスでバリバリと仕事をしてきれいな服を着ておしゃれな街で恋をして、所帯臭さなどみじんもないキャリアウーマンの同級生たちは、まさに私とは別の世界、つまり「対岸」の住人たちでした。

 同じ年齢で、同じ学校を出て、同じ女同士なのに、等しく与えられた24時間の使い方が全く違う。一日24時間の間に最も長く滞在する場所も、いつ起きていつ寝るかの活動時間も、日常的に目にする風景も、人間関係も、お金の使いどころも(もしかして出どころも)、どこで何を食べているかも、何が「自分へのご褒美」かも、何も一致しない、かつての同級生たち。

どこかのタイミングで、私とあの子は見える景色が変わってしまった (C)PIXTA

 それほどに何も共通点のない女同士には、共通の意見だって、話題だって探しづらいものです。時折思い出したようにメールがやって来て、家族のスケジュールと顔色を見ながら5回に1回程度の頻度でやっと参加するプチ同窓会では、お互い気遣いながら、だけど私だけが「既婚子持ち主婦」という状態が長く続き、私はもう永遠に彼女たちと同じ側に立つことはないのだとさえ思っていました。

 もう、「人種が違う」「世界が違う」のだと。私は「子持ちの主婦なんか」に「なってしまったのだから」と。

 「対岸の彼女」というタイトルが刺さって抜けないほどに、私には図星でした。だからその表紙を見るのさえ、感情がざわついて嫌だった。

 でもあれから15年ほどたった今なら思います。あの頃、私が対岸の彼女たちを羨んで孤独に立ち尽くしていた岸辺も誰かにとっては「対岸」であり、私もまた誰かにとっての「対岸の彼女」だったのだ、と。