医学部受験は、ある意味、就職試験

 私と同世代の医師であるAさんは、誰もが知る日本や海外の一流の医大で学び、さまざまな医大付属病院での現場勤務を経験してきた優秀な女性。「大学受験が就職試験に直結するんですか?」と驚く私に、「そうです。医学部に入学し、6年間進級し、卒業試験を突破した者だけが医師国家試験を受験できますから、そうなるんです。就職試験だと思うと、女子制限があると聞いても『ああ』と、日本的な風習で納得してしまうものがあるでしょう。もちろん現代の世界基準ではトンデモですけれど」と続けます。

 確かに、少し前までの日本の就職試験では女子制限の話などいくらでもありました。筆記試験の成績上位には女子ばかり並ぶけれど、それを全部落として男子を合格させる。企業の場合は「各社独自の方針に基づく採用」ということでそれがまかり通っていたのでしょう(現代ではまかり通らせるのは困難と思われる話ですが)。でも今回は大学入試。大学補助金という形で税金も投入されており、特に公平性が問われます。

 Aさんによれば、今、多くの病院が生き残りをかけて医療経営の崖っぷちに立たされている中、産休、育休の可能性がある女性医師を雇い、その人がいない間にその分の仕事を回す余裕のあるシフトを作れるような経営体力があるのは、ごくわずかに限られた一部の病院だけ。すると病院経営の側から見たとき、女性医師を雇うことはリスクだと感じてしまうのだそうです。

 「ですからそれを正当化したい、男性優位型の病院経営を継続したいという私立医大にはいっそ補助金をカットして、『系列病院の就職試験なので男子◯割採ります』と宣言させ、ついでに一定以上の医師の質を担保するために、医師国家試験を受けられる回数に上限を設ければいいんだと思います」

 既に海外メディアや国内の識者からも、「いっそ東京『男子』医科大学と名乗ればいいではないか」との皮肉が出ている通り、女子への入学差別を開き直るのであれば好きなだけ男子を集めればいい、と突き放すこともできます。しかしこれは東京医科大に限ったことではなく、私立医大に関しては入学の不透明さが(それこそ暗黙の了解として)長らくまかり通っていたはず。

 怒っている私たちも心の隅ではどこか「驚いていない」「なんとなくそうなんだろうと知っていた」、それなのに「そういうものだ」と受け入れ、批判の声を上げてきていなかったという部分はないでしょうか。

日本の医療は医師の過重労働の上に成立している

 Aさんはこう話します。「もし私が、複数の診療科を抱えて入院患者を受け入れるような病院の経営者なら、一定数以上の若い女性医師を雇うのはかなり覚悟が要ります。男女にかかわらず、医者を労働基準法の範囲内で働かせていたら、かなりの確率で病院は潰れるでしょう。医者の長時間労働、過重労働は当然視されており、それを見込んで病院の成果が求められているからです」。

 なぜそんな、いわゆる「ブラック」なことになっているのでしょう? 

 病院が一般的な企業に比べて特殊な点は、診療報酬が厚生労働省によって決められており、自分たちで価格設定ができないこと。「企業努力」をして、ある分野でもうけられると思って頑張っても、超高齢化社会と医療費抑制トレンドの中、高い診療報酬を実現しようとすると人件費や設備投資のコストがかかり、安定的な経常利益の出る体制にするのが難しいのだとか。

 以前、日本の医療政策のエキスパートが「日本の社会保障のコストパフォーマンスはOECD加盟国の中でも飛びぬけて高い」と話していたのを思い出しました。それは、国民が支払う社会保険料に比べて、受けられる医療サービスなど福祉の質が非常に高いということです。医療を受ける側にとっての「安くてきめ細かで安定的な医療インフラ」は、日本政府が国債を限界近くまで発行し、いまや医療に携わる側の労働条件をひたすら悪化させながら、彼らの個人的犠牲の上にようやく維持されているものであるともいえるのです。

夜間だろうが休日だろうが24時間365日すぐに対応してくれる医師たち。彼らの犠牲の上に成り立つ日本の医療インフラ (C)PIXTA
夜間だろうが休日だろうが24時間365日すぐに対応してくれる医師たち。彼らの犠牲の上に成り立つ日本の医療インフラ (C)PIXTA