被害者にも、加害者の母にもなり得る女性として

 「誰でも抱けると思い上がったイケメン有名人」と犯罪であることの意味を考えずに思慮の浅い揶揄を口にする人もいます。「何の欲であれ、一線を越えること(犯罪)へのハードルが低い傾向の持ち主」と社会性の問題を指摘する人や、「性欲と性暴力欲は別もの。レイプは支配欲求に基づくもので、高畑容疑者はそのコントロールができない男性」と考え、この事件を男性の一般的な性欲に敷衍(ふえん)すべきではないとする人もいます。

 一方、例えば若い未婚女性の中には「高畑容疑者はもともと女性へ不自然な関心を持つレイピスト」と被害者側に立ち、性的嗜好や人格の問題と捉えて語る人もいるでしょう。また、娘を持つ親の中には「有名人の親に甘やかされ、きちんとしたしつけを受けずに育った男」と子育ての問題として親に対して憤る人もいるでしょうし、息子を持つ親の中には「高畑容疑者は他者の尊重や犯罪の一線をめぐる自己制御ができなかった未熟な若者。でも、それは自分の息子にも起こりうる問題」と、親子関係や人間観の問題として自分を振り返る人もいるかもしれません。

 さまざまな意見があり、傷ついた人々がいる――。

見る人すべてが、傷ついた (C)PIXTA
見る人すべてが、傷ついた (C)PIXTA

 この事件では特に、「被害者」にも「加害者の母」にもなりうる性として、多くの女性が心をかき乱されました。

賛否分かれた あの記者会見から

 「加害者の母」が記者会見に臨んだ姿に、賛否両論が沸き起こりました。

 「子を育てる責任を、日々背負って暮らす」――特にそんな親の立場にある子育て中の女性にとって「成人した息子が起こした性的な事件に、親はどこまで責任を持つべきなのか」は、ヒリヒリした当事者性を持っていました。高畑淳子さんと同じ、働く母たちは、8月26日の会見を見て涙せずにはいられなかったのです。