「女子アナ」先駆者の戦い

 2つの場面で発せられた「妹たち」の言葉がピタリと符合した時、私はこの夏伺った、もう一つのエピソードを思い出しました。

 女子アナという言葉も存在しないような40年以上前、数少ない女性アナウンサーとなり、放送技術の向上や放送文化の広がりとともに「国民的『声』」となった今や70代のその女性は、巨大な組織の中でもがき戦い抜いたキャリア人生で、40代が一番苦しかったと告白してくださいました。

 日本語を読み、聞き、話す専門職として人前に出ても恥ずかしくない技術を身につける10年を経て、世間からも社内でも認知され、仕事の幅も広がり、自信もついてくる。ところが40代になって、「当時の男性組織の中では自分の言葉が何にも通らず、耳も傾けられず、胸をえぐられるような言葉を投げつけられる日々があった。40すぎまでひたすら技術を磨いて突っ走ってきて、こういう場所にたどり着くのかというむなしさがありました」と、その人は静かに振り返りました。

 「何が足りないのだろう」と、その人は何度も自問自答し、やがてたどり着いた答えは「言葉の仕事であるにもかかわらず、私には言葉の力が足りない」だったといいます。

 「私は組織と、組織を形づくっている人々の心を知らなかったのです。アナウンサーという立場だから、専門性と実力さえ磨けばいいと思っていた。組織はどうすれば動くのか、注意を払っていなかったし、それに気付かないで済む仕事の仕方をしてきていたの」。

 彼女は先駆者。「40代の女性アナウンサー」という存在を、その組織の側も、いわば当時初めて経験していたのです。

人は胸の中に「自尊心」という一匹の虫を飼っている

 「女性だから」との配慮で、その組織は同じアナウンサーでも女性にだけは地方異動を免除していたのだとか。ところが、男性アナウンサーたちは生涯で10局ほども地方局を転々とするのが当たり前で、地方局での営業や放送の実態を知らずして組織を語ることはできない。そして組織人たちの心理という面でも、彼女は気付きました。

 「人は胸の中に一匹の虫を飼っている。それは自尊心。それを大事にすることが人を大事にするということで、自尊心は決して傷つけてはいけない。傷つけたら自分も倍返しで受けるということを理解しました」

 その一番辛い時期に彼女が自分にたたき込んだもの――それは「上から下まで全員に丁寧語でお話しすること」、「どんな意見も一回飲み込み、必ず建設的な対案を出すこと」、そして「人は借りものの言葉ではだまされない。体験から生まれた言葉でないと人は動かされない。だから必ず自ら体験し、自分の言葉を持つこと」でした。

 女性職業人として、体調や家族の問題、それに影響される自分の仕事への焦りなどを乗り越えながら、でも世間は彼女がそんなことに葛藤しているとはつゆほども気付かず、その人は名実ともに「日本の顔」、「日本の声」となったのです。

 やがて管理職となった彼女が手を着けたのは、後輩アナウンサーたちのために「女性アナウンサーの異動免除」を廃止することでした。

後輩の女性たちが扉の前で足止めを食らうことのないように (C)PIXTA
後輩の女性たちが扉の前で足止めを食らうことのないように (C)PIXTA

 後輩たちに同じ思いをさせたくない。アナウンサーの組織内評価を上げたい。組織の中に生き、組織を動かす力を手にするために、組織を知る機会を大事にしなくてはいけない。彼女は「妹たち」という言葉は使いませんでしたが、まさに自分の体験から紡ぎ出した結論として、「組織への最後の恩返しと思って」後輩女性アナウンサーのための環境づくりを終え、定年を迎えたのだと語ってくださいました。