いや、それは甘えだ、環境が整えばできるはずだ、って? じゃあそう言う人がやってみればいいんですよ。ちなみに環境も、そんなにいうほど整っちゃいません。みんなが同じ環境にいるわけでもありません。それから、同じように「働け産め育てろ介護しろ」という社会的要請に応えている、「輝く男性」っていますか? そもそも「産め」の時点で成立しないわけで。

 自分の身をもぎ取られるような思いをして子どもを体の中からひねり出し、その負担の影響もまだ色濃い中、その子を保育園に無事に入れるために産後数カ月や1年で元の職場に社会復帰して、働いて納税する「男性」は実際、そんなにいないわけで。

 女性だけですよね、「輝け」って言われるの。無茶ですよね、そんな実態。

実際、「女性が輝く社会」に漕ぎ出した女性が折れている

 先ほど、「働け産め育てろ介護しろ」と言いましたが、ニッポン一億総活躍プランで提唱されている「これからの時代の、新しい”輝く”女性」の内実は、要するにそういうことです。

 「女性活躍推進」は疑いようのない正義のように聞こえますが、要するに女性の労働参加率を上げて、かつ新世代も産ませて、わが国の労働人口をいかに減らさないか、経済成長の減衰を食い止めるか、という話です。女性が働いて、かつ産まないと、国が立ち行かないんですってよ。女性に幸せになってほしいとか、社会的に尊敬されてほしいとか、そんな話は誰もしていないのです。

 新しい家庭像や女性像の提案に欠ける「女性活躍推進」「一億総活躍プラン」で、私たち女性の人生の選択肢は本当に増えたのか? 

 いいえ、「正解が変わった」だけなのです。

 あれもこれもやるのが優れた女、となっただけ。負荷が増えただけ。「共働きでやってね。しかも出生率が下がるのは困るから、出産も子育ても、早めによろしくね。あと、時期がきたら介護もどうにかやってよね」と、家庭像の「正解」が横にずれただけなのです。多様性の包摂などと言いながら、提示している生き方は全然多様じゃないんです。

 では、その女性と夫婦としてパートナーシップを結ぶ男性社会の側に、どれだけそういう「あれもこれも全部背負う」女性を受け入れるべく「変わる」準備ができているというのか。(これから社会で活躍する超若い世代や超柔軟な人は別かもしれませんが)「そんな余裕はない」を言い訳に、遅々として変化しません。

 ですから、結婚出産の時期と「女性活躍推進」がちょうど重なって、産後復帰のケースが激増した世代が、ぐったりと疲弊している。前人未到の「女性も輝く社会」とやらに歩を進めたものの、だけどそれを受け入れる社会の側に全然物理的にも精神的にも対応ができていなくて、早くも彼女たちは「無理だ」とポキポキ折れていくのです。