一周回って、また同じテーブルに着けるのが女友達

 「女友達、ですか。今の私は、子育てと仕事で全然時間がつくれなくて、さらには会う余力も残っていなくて。1年に数回、学生時代の友達と会うくらいです。一時期大げんかして会わなくなった大切な親友がいましたが、お互いに一周して当時を振り返ることもできるようになり、連絡を取り始めました。そんなふうにして、一周回ってまた、大切な友達に戻れるなんてこともあるのかもしれないな、って」

 私にも昔、地元の同級生の女子グループがありました。幼稚園・小学校から、付かず離れず、同じ沿線に住み続けていることもあって、何かと集まっていました。そのグループから一番に抜けてしまったのは、学生結婚することとなった私でした。私にはそのとき、「いち抜け」なんて気はみじんもありません。むしろ、「一番早くに引き離された、分断された」くらいの寂しさがありました。結婚して子どももできた私は、生活する時間帯も場所も話題も彼女たちと重なるところは何一つなく、「私は一人になったんだ」と思って暮らしていました。二度と戻れない川を渡ってしまって、あちら側の岸にいる人たちと交わることは、もうないのだと。

 ところがやがて、中には結婚する人も出てきて、私の側の岸へやって来てくれたり。シングルの人も、何かと時間を合わせて、一緒にご飯を食べたり。特に30歳前後あたりから、毎年ちょっとずつ地図が改変されていくのを感じました。やがて40を超え、私は子育ての手も離れて、夜みんなでカキとワインで乾杯したときに、思ったのです。

 「ああ、あのとき『対岸の彼女』となって、もう二度と、永遠に合流することなどないだろうと思ったあの人たちと、今私は同じテーブルに着いて、楽しくゴハンを食べている」。同じテーブルに着いている自分も、彼女たちも変わった。人生は流れ、人は変わるのだ。

私たちは、一周回ってまた、合流するのです (C) PIXTA
私たちは、一周回ってまた、合流するのです (C) PIXTA

 先ほどのアラフォーさんが言う通り、私たちは「一周回った」のです。瞬間、私は魚をイメージしました。女は回遊する生き物なのだ、と。そして、それぞれの人生を経てなおまた一緒になれるとは、なんて心地いい関係なんだろうと、女友達に感謝しました。