中高時代は母を黙らせたくて優等生に。心は楽しくなかった

――中学に入った香菜さんは反抗してグレてもおかしくない状態だったが、逆にますます優等生になった。それはこんな思いからだ。

香菜さん 母から「○○しなさい!」と言われるのが嫌で仕方ないので、「何も言わせないぞ!」と思い、何でも先回りしてやるようになったんです。特に「勉強しなさい」と言われるのがものすごく嫌だったので、「次のテストで100点取るから、二度と言わないで!」と母に伝え、満点を取って黙ってもらいました。

 学校でも、「こうしたら先生や友達は喜ぶかな」と計算して振る舞ったり。いわゆる、優等生のいい子でしたが、心の中は全く楽しくありませんでした。さすがにこのままだとマズい、精神的におかしくなると思い、高校では一切勉強するのをやめて、部活や文化祭の出し物など楽しいことに没頭しました。その頃になると、母も私に対して口うるさく言うことも減っていき、高校や大学では伸び伸びできる時間も増えていったんです。

 ところが……母の支配下に置かれていた子ども時代の経験は、大人になってからさまざまな場面で“負のパターン”となって表れるようになりました。

――それは社会人になって仕事を始めてからのこと。職場の上司や同僚に認めてもらいたい思いから、必要以上に頑張り過ぎたり、顔色をうかがい過ぎて意見が言えなくなったりした。

香菜さん 母親に「そのままでいいよ」と無条件に受け入れてもらえなかったことから、自分に自信が持てなくなったんだろうなと思うんです。そのままの自分じゃいけない、もっと頑張らなきゃと無理をして家でグッタリすることもしばしばでした。特に「仕事のできる人」に引け目を感じて、同僚なのにもかかわらず、恐怖心が芽生えて言いたいことが言えなくなってしまいました。

 幸い、恋愛のほうはいい相手に巡り会えて、無事に結婚できました。恐らく昔から父親には甘えられていたので、男性に対するトラウマやマイナスイメージがなかったからだと思うんです。夫との関係も良好で、楽しい新婚生活を送れていたのですが、子どもが産まれてから、“負のパターンやマイナス感情”が大きく表面化してきました。

――1人目の長女を出産後、体調が芳しくなかった香菜さんは1カ月半ほど里帰りすることになった。母親には食事や洗濯など物理的な面では助けられたが、一方で精神的なストレスが積み重なったという。

香菜さん 母が孫かわいさに、あれこれ脇から口を出すようになったんです。今の育児とは違う昔のやり方を押し付けてくるのが嫌になって、夫に「もう帰りたい」と泣きついたこともありました。子ども時代の母の“強要”がフラッシュバックしたことも、余計につらくなった原因かもしれません。

 ただ、自宅に戻った後も、月1回は実家に帰り、両親に子どもの顔を見せに行っていました。「きっと母も孫に会いたいだろう」と思ったからです。そんな日々を過ごしていると、今度はまた別の問題が噴出したのです。