「こんな世の中である限り、現場に行きたい」

 2014~15年には、紛争地での仕事をする一方で、日本で「国境なき医師団」のリクルーターをやっていた時期があります。シリア、南スーダンという過酷な紛争地での勤務が続いた後のことでした。

 それまでは看護師の仕事しかしたことがなかったので、事務局の仕事という新しい経験は新鮮でした。自分が「国境なき医師団」に入るまで苦労した経験があるので、リクルーターとして、後輩看護師を育てられる機会を持ったことは自身の大きな糧となりました。最近では帰国子女も増えていますが、やはり大人になってから必死に英語を勉強して応募してくる人が多く、4度目の挑戦で合格した看護師もいるんですよ。

 実は、リクルーターの仕事にもやりがいを感じて、同じような職種をヨーロッパの「国境なき医師団」の事務所で募集していたときに、応募しようと思ったことがあるんです。正直、過酷な生活が続いた後で、しばらく安定した生活をしたいという気持ちも芽生えていたんです。

 ところが、応募のための履歴書をパソコンで書いていた、まさにその時に、アフガニスタンの「国境なき医師団」の病院が空爆されたというニュースが飛び込んできたんです。それを聞いて、「病院が空爆されるような世の中である限り、私は現場に行かなきゃいけない」と強く思い、その場で履歴書を削除。現場で働き続けることを決意しました。

 2017年後半には、過激派組織・イスラム国(IS)が「首都」としていたシリア北部のラッカや、ハサカで活動しました。

 ラッカには、7月から市が解放された10月までの派遣でした。市の周囲にはISが残した多くの地雷が埋められており、ラッカから脱出しようとする人が被害を受けるケースが多かったです。家族単位で脱出するので、一度に何人もが被害を受けるんです。病院には、ひっきりなしに患者さんがやってきて、オフの時間は全くありませんでした。

 地雷は戦闘終結後も現地に残る。住民の苦しみはこれからで、報道されないそうした苦しみとも私たちは向き合っていかなくてはなりません。

イラクのモスルにて、負傷者の看護に当たる白川さん 提供/国境なき医師団、2017年
イラクのモスルにて、負傷者の看護に当たる白川さん 提供/国境なき医師団、2017年

 そんな悲惨な状況の中でも、現地の人々は温かいんです。自分たちの明日の食料さえどうしようかという状況なのに、私が日本を離れて何か困っていないか、物は足りているか、ご飯は食べたか、などと気にしてくれます。

地元住民とイエメンにて、右から2番目が白川さん 提供/国境なき医師団、2017年
地元住民とイエメンにて、右から2番目が白川さん 提供/国境なき医師団、2017年

 各4回ずつ派遣経験のあるシリアやイエメンでは、自分たちもお腹が空いているに違いないのに私たちに食料を分けてくれました。特にシリアでは、一般市民からの献血が豊富で、私たちの病院が本当に助けられています。

 「今世紀最大の人道危機」にさらされたシリアでは、今も献血のために市民たちが列をなしているんです。非人道的な状況下でも他人を思う心が消えないシリアの人々の「人間愛」を見て、私も同じような場面に置かれたら同様にしようと心に刻みました。彼らの姿を見ていなかったら、こうしたことを深く考えることはなかったでしょう。