諦めなかったのは、反抗心

 思えば、マナティーを研究すると決めて以来、私はずっと周囲から「無理だ」と言われ続けていました。もちろん、教授陣の助言には正しいこともあります。「マナティーは希少動物だから研究は難しい」というのはその通りですし、「種にこだわらずに、普遍的な現象を解明する研究を目指せ」というのも、ごもっともだと思う。でも、研究者にはいろんなタイプがいていいと思うんです。私は、ただ純粋な好奇心でマナティーを知りたくて研究したかっただけなので、無理と言われても、うるさいなぁと耳をふさいできました。

 博士課程への道が閉ざされかけた時はさすがに落ち込みましたが、それでも諦めなかったのは、「負けてたまるか!」という反抗心があったからですね。私はうつうつとしながらもアンテナを張り、バイオロギング研究をする学生が多く集まる研究室のゼミやシンポジウムに参加しました。そうして、「研究室にいつもいる学生」になって、その先生に頼み込み、博士課程の学生として受け入れてもらったんです。

「具体的なことは言わずに、私も仲間だとアピールする作戦で頑張ったんですよ!」
「具体的なことは言わずに、私も仲間だとアピールする作戦で頑張ったんですよ!」

 そうして博士課程1年目の4月、転機は突然やって来ました。

 たまたま研究室のゼミで出会った研究者が「そういえばブラジルでアマゾンマナティーの研究をする人を探してるって聞いたよ」と、情報をくれたんです! すぐに情報元の大学の先生に連絡を取ると、ブラジルの国立アマゾン研究所の研究者のメールアドレスを教えてくれました。海外の研究者から返事をもらったことがなかったので不安でしたが、ともかく自分の思いを書いて送ったんです。すると、ヴェラさんという研究者からすぐに返事が届いたんですよ。「いいわよ、一緒にやりましょう」と。

ついにマナティーの生息地、ブラジルへ! ところが…

 その年の7月、私はブラジルへ飛び立っていました。はじけるような気分でしたね。無理だと言っていた人たちに、「私、マナティーの研究をするためにブラジルに行くんです!」と大声で言いたかった(笑)。

 アマゾンの玄関口のマナウスは大都会でした。大きなショッピングセンターやホテルがいくつもあって、日本を含め外国から仕事で来ている人も大勢います。ただその町がよそと違うのは、人が暮らす町のすぐ横にアマゾンの森があることで、国立アマゾン研究所もそんな森の中にあったんです。

 巨大な3つの水槽に、マナティーが60頭、さらにその奥の小さな水槽に赤ちゃんマナティーがたくさんいるのを見た時は、「希少なマナティーがこんなにいる!」と驚きましたね。

 そのマナティーは密漁で親を殺された子どもたちでした。マナティーはかつて、アマゾン川流域の人々に貴重なタンパク源として食用にされていました。それだけなら問題はなかったのですが、丈夫な皮膚を工業製品に加工するために乱獲され、数が激減。そのため、法律で保護されて、地域の人が食べることも禁止されたんです。でも、やっぱり食べたい人はいて、密漁で殺してしまうんですよ。

「現地では、子ども連れの母マナティーがおいしいという迷信があって、子どもだけが残されてしまうんです」(C)Hiroto Kawabata
「現地では、子ども連れの母マナティーがおいしいという迷信があって、子どもだけが残されてしまうんです」(C)Hiroto Kawabata

 国立アマゾン研究所では、母を殺されて衰弱した子どもを保護して育て、半野生の環境でリハビリさせた後にアマゾン川の奥地に放流する計画でした。

 私はそこで、マナティーの体にデータロガー(行動を記録する装置)を付ける手法を探り、マナティーの行動データを取る研究を始めたんです。そして、アマゾン川に放流した後もデータを取りにくると約束をして、帰国したんですね。

 ところが2年目、突然教授から、アマゾンの調査は危険だから中止すると言い渡されてしまったんです。あまりのショックで唾液が乾き、言葉が出ませんでした。危険な目になんて一度も遭っていないと抵抗しましたが、決定は覆せませんでした。

 その晩から、私は体中に発疹が出るようになり、ひどいときには呼吸もできなくなりました。医師の診断はストレス性のじんましんでした。

Profile
菊池夢美(きくち・むみ)
1981年東京・杉並生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了(博士(農学))。25歳でブラジルに渡り、国立アマゾン研究所と共同で、アマゾン川に生息するアマゾンマナティーの行動研究を開始する。現在は京都大学野生動物研究センターのプロジェクト研究員として、年の4分の1をアマゾンで暮らし、密漁などから保護したマナティーを自然に戻す活動にも参加。一般社団法人「マナティー研究所」代表。
南米のアマゾンで希少動物マナティーを研究
京都大学野生動物研究センタープロジェクト研究員 菊池夢美さん
第1回 周囲に「無理、やめろ」と言われ続けた36歳の研究者
第2回 研究者・菊池夢美 願いがかなった直後に襲った出来事(この記事)
第3回 一度は転職も考えた 野生動物研究者の、諦めない理由(7月26日公開予定)

聞き手・文/金田妙 写真/清水知恵子