「昔は自分もこうなりたいと思っていたのにな…」

 楽しいと感じていたその仕事を辞めようと決めたのには、いくつかの理由がありました。一つは、いつか大学院に行きたいという思いが心の中にずっとあったこと。海外の友達、特にアメリカの友人の中には、大学卒業後、数年働いてから、大学院に進むのが当たり前と考える人が多くいました。日本では、大学院というと研究をする場というイメージがありますが、アメリカではプロフェッショナルとしての知識や技術を得るための場所としても、大学院は位置付けられています。私もそのような環境で学んで、スキルを身に付けたいという思いが、だんだん膨らんでいったんですよ。

 誰もが経験することだと思いますが、会社に入って年月がたつうちに、私は、自分が一つの世界の価値観に縛られていくのを感じていました。仕事は大好きだったけれど、同じ場所にいると、どうしても世界は狭くなっていきます。一企業の中での細かいしきたりや評価基準って、冷静に考えるとどうでもいいことも多いのに、気付いたら、そのために全力で頑張っている自分がいました。このまま凝り固まっていくと、本当はあるはずの私の別の面を自分でも忘れてしまうような気がしたんです。

 テレビ朝日のあるけやき坂に大きな書店があるのですが、よくそこへ行って雑誌を手に取り、海外で活躍している人の記事を読んでは羨ましく思っていました。「昔は自分もこうなりたいと思っていたのに、遠い世界だな……」と感じている自分が、本当に悲しかった。そんな時、勇気をくれたのは、同じく報道の仕事を辞めてアメリカの大学院に入った会社の先輩や、就職後に大学院へ進んだ大学の同級生でした。「自分に近い人ができているんだから、自分にも可能性があるんじゃないか?」そう思えたんですね。

「悩んでいるときって、『なんとか現状を変えたい。何かがあれば走り出せるかも』という実は少し前向きな気持ちが、あるのだと思います。悩みを持てることを、自分と向き合うきっかけにできたらいいですよね!」
「悩んでいるときって、『なんとか現状を変えたい。何かがあれば走り出せるかも』という実は少し前向きな気持ちが、あるのだと思います。悩みを持てることを、自分と向き合うきっかけにできたらいいですよね!」

防災・災害政策に関わる仕事をしてみたい!

 もう一つ、仕事を辞める大きなきっかけになったのが、取材中に覚えた違和感でした。

 報道の仕事では、相手の気持ちに踏み込むような取材をすることがよくあります。例えば認知症についての取材をした時、私は本心からご本人やご家族の状況を伝えることで、現状への問題意識を広めたいと思って報道したのですが、でも、その方たちとの関係はその時だけで、その後彼らがどうなったかは分からないわけです。中には、定期的に連絡を取り合う取材相手はいたものの、一つの取材を終えたら次の取材へと、次々とこなしていく毎日に、「これって、私の望んでいることとは違うんじゃないか?」と思い始めたんです。

 中でもその思いを強くしたのが、東日本大震災の取材でした。私自身初めて経験する甚大な災害で、見たこともない状況の中、人々の悲しみ、不安、悔しさなど接したことのないような感情と隣り合わせで過ごしました。そして、家族の死やその後の生活などについて、被災者の皆さんにマイクを向けてきたんです。

 あのような経験や気持ちをテレビカメラの前で語ることは、とても勇気のいることだったと思います。そのようなことをしていただいているのに、自分は皆さんに何かお返しができているだろうか、本当に被災者の方々や震災の教訓や復興と向き合えているのだろうかと、自問自答するようになり、気付いたら、休みの日もボランティアとして、東北へ足を運ぶようになっていました。

 関わったからには、責任を持つじゃないけれど、この惨状を見た人間として何かをしたい。 政策に関わるような仕事をしてみたい。そんな思いが、私の中で徐々に大きくなっていきました。それが、大学院で学びたいという気持ちと合わさり、ついに私は会社を辞める決心をしたんです。アメリカの大学院で公共政策を学び、そこで得たスキルを防災や災害復興の分野で生かしたいと思ったんです。

「取材は大好きだったので、今でも報道の仕事へ戻りたい気持ちが2割くらいはあるんですよ。でも、辞めたからには今を頑張らなくちゃ! そんな覚悟を植え付けてくれているのは、テレビ局時代の同僚です。お互い仕事は違っても切磋琢磨(せっさたくま)できる人がいるというのは、大きな支えになっています」
「取材は大好きだったので、今でも報道の仕事へ戻りたい気持ちが2割くらいはあるんですよ。でも、辞めたからには今を頑張らなくちゃ! そんな覚悟を植え付けてくれているのは、テレビ局時代の同僚です。お互い仕事は違っても切磋琢磨(せっさたくま)できる人がいるというのは、大きな支えになっています」

*第2回に続く

第1回 大好きな仕事を辞めて、大学院に進学 決意の理由は
第2回 会社を辞めて大学院へ その後の勤め先でぶつかった壁 9月20日公開予定
第3回 ハーバードを卒業しNPO就職 大事なのは「納得感」 9月27日公開予定

Profile
大倉瑶子(おおくら・ようこ)
特定非営利活動法人 SEEDS Asia ミャンマー事務所代表。2018年秋から、米系国際NGOのMercy Corpsの洪水防災の事業・リサーチ統括として就任予定。大学卒業後テレビ局で報道記者・ディレクターとして約4年働く。東日本大震災の取材を通して、防災や災害復興に興味を持ち、退職してアメリカのハーバード大学ケネディ・スクールで公共政策修士号を取得。マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Labを経て、現職。災害の多いミャンマーで災害リスクの軽減や環境問題に取り組んでいる。

聞き手・文/金田妙 写真/清水知恵子