大学院を卒業 勤めた職場で自分の価値を見失う

 大学院を卒業後、私は、教授に声を掛けられて、マサチューセッツ工科大学の防災デザインの研究室で働き始めました。携わったのは、災害後の仮設住宅の政策を見直すという、アメリカ政府の災害危機管理庁のプロジェクト。ケンブリッジにあるオフィスに通い、アメリカで災害が起きた後、どのような制度や法律が有効的に活用されたか、分析をしていました。

 ところがそこで働くうちに、私はだんだん焦り始めたんです。仕事の性格上、建築家やエンジニアなどと働く機会が多かったのですが、あまりにも具体的なスキルを持っている人に囲まれて、自分の価値が見いだせなくなってしまったんですね。

「政策担当という私は、どちらかといえば文系でしたから、専門スキルでは、技術者にはかなわなかったんですよ」
「政策担当という私は、どちらかといえば文系でしたから、専門スキルでは、技術者にはかなわなかったんですよ」

 「専門家に負けない仕事ができるには、どうすればいいかな……」と考えた私が出した答えは、「実際に災害の現場で何が起きているか理解した上で、いろいろな職種の人をマネジメントできるようになろう!」というものでした。そして、現場でプロジェクトを管理できるようになることが急務だと思ったんです。

 そのようなことができる組織はないかと上司の女性に相談すると、彼女は「SEEDS Asia(シーズ・アジア)」という団体を勧めてくれました。アジアの災害リスクの軽減や環境問題に取り組んでいるNPOだといいます。やはり相談していたハーバード時代の先生が勧めてくれたのも、同じ団体でした。

 早速SEEDS Asia(シーズ・アジア)について調べた私は、その活動にとても興味を持ちました。拠点は神戸ですが、アジア太平洋地域で活動している、防災・環境・開発分野の専門家集団。さまざまな国籍のスタッフが、組織の経験やノウハウ、ネットワークを生かして、災害による被害を限りなく小さくしようと活動していたのです。運良くミャンマー事務所の代表のポストが空いていたので、すぐに応募しました。

 この仕事を決めた時、日本にいた家族はちょっと驚いたみたいです。せっかくハーバードまで出たのだから、国際機関などビッグネームの組織に行ってほしいという気持ちがあったみたいで……。もちろん、国際機関での仕事にも引かれたんですよ。でも、当時の自分はそこで物事を動かせるような人材でもなかったし、今自分が得たい経験と知識はそこでは得られないと思ったんです。いずれ国際機関で働くことがあるかもしれないけれど、今はSEEDS Asiaでの経験が欲しい! そんな思いで、私は災害が多発しているミャンマーへと渡ったんです。

「人の期待に縛られたり、人にどう思われるかと気にしたりしていると、いつまでたっても自分の好きなことはできません。その結果後悔することだけは嫌なんです」
「人の期待に縛られたり、人にどう思われるかと気にしたりしていると、いつまでたっても自分の好きなことはできません。その結果後悔することだけは嫌なんです」

*第3回に続く

第1回 大好きな仕事を辞めて、大学院に進学 決意の理由は
第2回 会社を辞めて大学院へ その後の勤め先でぶつかった壁(この記事)
第3回 ハーバードを卒業しNPO就職 大事なのは「納得感」 9月27日公開予定

Profile
大倉瑶子(おおくら・ようこ)
特定非営利活動法人 SEEDS Asia ミャンマー事務所代表。秋から米系国際NGOのMercy Corpsの洪水防災の事業・リサーチ統括(Program and Research Manager)として就任予定。大学卒業後テレビ局で報道記者・ディレクターとして約4年働く。東日本大震災の取材を通して、防災や災害復興に興味を持ち、退職してアメリカのハーバード大学ケネディ・スクールで公共政策修士号を取得。マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Labを経て、現職。災害の多いミャンマーで災害リスクの軽減や環境問題に取り組んでいる。

聞き手・文/金田妙 写真/清水知恵子