今回の主役は、本サイトで「ハーバード流ワークライフバランス」「NPOで働く女性の世界」などを書いている大倉瑶子さん。その華やかな経歴には思わずうなってしまう。テレビの報道記者を辞め、米ハーバード大学院へ。マサチューセッツ工科大学に勤め、現在は防災プロジェクトを指揮するNPOのミャンマー事務所の代表だ。しかもまだ30歳前。こんなエリート、自分と違い過ぎる? いやいやとんでもない。やりたい仕事をするために、自分と向き合い高めていこうとする姿勢は地道で、華やかさとはかけ離れていた。勇気をもらえそうな、彼女の働き方をのぞいてみよう。

第1回 大好きな仕事を辞めて、大学院に進学 決意の理由は
第2回 会社を辞めて大学院へ その後の勤め先でぶつかった壁
第3回 ハーバードを卒業しNPO就職 大事なのは「納得感」(この記事)

ミャンマーで防災プロジェクトを指揮する 大倉瑶子さん
22歳 テレビ局で報道記者・ディレクターとして働く
 東日本大震災の取材を通して、防災や災害復興に興味を持つ
26歳 アメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学
28歳 ハーバード大学ケネディ・スクールで公共政策修士号を取得
 マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Labに勤務
29歳 ミャンマーの防災プロジェクトを指揮するNPO・SEEDS Asiaに勤務
30歳 米系大手国際NGO Mercy Corpsに洪水防災の事業・リサーチ統括として就任予定(インドネシア・ネパール・バングラデシュの3カ国を担当)

SEEDS Asiaのミャンマー事務所の代表に

 2017年10月から、私はSEEDS Asia(シーズ・アジア)のミャンマー事務所の代表として働いています。駐在先は、最大の都市、ヤンゴンです。ミャンマーは地震や洪水の多い国。2008年には死者・行方不明者が14万人にも上るサイクロンに襲われ、今後も気候変動によってさらに災害リスクが高まるといわれている国です。私たちは、そんなミャンマーが防災に強い国になるために、日本などから技術移転をしたり、防災教育をしたりする活動をしているんです。私はミャンマーに引っ越した一週間後には、UNDP(国連開発計画)とパートナーシップを組む形で学校の津波防災強化プロジェクトがスタートし、ヤンゴン郊外の学校で避難訓練を実施していました。まさに、「飛び込む」感覚で、即戦力として何が求められるのか、とても勉強になりました。

 目下活動しているのは、ヒンタダ地区にある人口約450人の村。洪水が頻発しているその村に、日本の外務省の支援プロジェクトで、災害時にシェルターになるような安全な学校を造っているところなんですよ。日本では、学校は避難所としてよく使われていますが、ミャンマーではそもそも避難所という概念すらないので、モデルケースとして、ミャンマー政府と協力しながら造っています。

「ミャンマーの社会福祉救済復興省の副大臣に、プロジェクトについて説明する様子。政府高官から村の人まで、さまざまな立場の人を巻き込みながら、事業を進めなければなりません」 写真提供/大倉瑶子さん
「ミャンマーの社会福祉救済復興省の副大臣に、プロジェクトについて説明する様子。政府高官から村の人まで、さまざまな立場の人を巻き込みながら、事業を進めなければなりません」 写真提供/大倉瑶子さん

 でも、丈夫な建物ができても、人々の防災への意識が変わらなければ意味がありません。その村では、洪水があまりにも起きるので災害という認識がなく、被害を防げるものだという意識もなかったんです。そこで、「自然災害は自然が引き起こすものなので防ぎようがないけれど、被害は人の工夫で減らしたり防いだりすることができるんですよ」ということを分かってもらい、災害にすぐ対応できるように、村人と一緒に防災の仕組み作りをすることに力を入れているんです。

 それはもう基本的なことからやる必要がありました。例えば、天気予報は誰がどこで得るのか、防災無線もない村でどうやってみんなに避難を知らせるのか、伝えた上で避難の方法はどうするのか、避難所はどう運営するのか……。一つひとつ、決めていっているところです。

「ミャンマーは今、暮らしが急激に変わっています。少し前まで携帯電話が数千ドルもしたのに、今ではみんなスマホを持ち、メールアカウントはないのにFacebookはしまくり!政府の人とのやり取りもFacebookメッセンジャーのほうが早いんです」
「ミャンマーは今、暮らしが急激に変わっています。少し前まで携帯電話が数千ドルもしたのに、今ではみんなスマホを持ち、メールアカウントはないのにFacebookはしまくり!政府の人とのやり取りもFacebookメッセンジャーのほうが早いんです」

意見を聞きたいのに、村人の集まりに女性が来ない

 その過程では、思わぬ問題も起きました。災害弱者になる子どもの生活について知っているのは女性の場合が多いので、彼女たちの意見をくみ取りたいのですが、集会に来るのは男性ばかりなんです。外から来た私たちが「それじゃあダメです」と言っても状況が変わるわけもないので、私はこう言って村長を説得しました。「災害においては、子どもを守らなくちゃいけません。子どものことを知っているのは女性のことが多いですよね。だから女性にも参加してほしいんです」。

 ところが、やっと来た女性は部屋の後ろに座っていて何も言いません。「あなたも話して」と促しても誰も口を開かず、むしろスポットライトが当たって気まずい空気になってしまうと思い、どうすれば彼女たちが自然に参加できるか、考えました。そこで今度は、「前の資料が見にくいと思うので」と彼女たちを部屋の最前列に誘導し、あえて女性のほうが答えやすい質問をしてみたんです。「子どもは何時に学校から帰ってきますか」とか「これまで災害時には、子どもの通学はどうしていたんですか」とか。そうやって、女性のほうが知っていることがあると、男性に認めてもらうことから始めて、やっと一つのチームとして村の防災に取り組めるようになってきたんです。

「ヒンタダ地区のナベ―ゴン村の人々と、ハザードマップの作成を行いました。今の仕事の一番の魅力は、現場と地元政府と近い立場で事業に関わることができるところです」 写真提供/大倉瑶子さん
「ヒンタダ地区のナベ―ゴン村の人々と、ハザードマップの作成を行いました。今の仕事の一番の魅力は、現場と地元政府と近い立場で事業に関わることができるところです」 写真提供/大倉瑶子さん

 村での活動は、ミャンマーの中央政府や地域の地元政府と協力しながら、逐一状況を共有しています。また、いずれはこのようなことがミャンマー政府の手でできるように、特に事業のプロセスや効果を説明しています。時には、メディアを招待して、事業や防災の必要性について、取材をしてもらうこともあります。ミャンマーは、検閲が廃止され、報道の自由を保障する法律が制定されてから、まだ5年もたっていません。報道機関も発展途上なので、記者が取材に来ても、紙に書いて渡したことしか報じてくれないんですね。そこで、スライドも全部印刷して、伝えたいことに下線を引いたりして、工夫しているんです。

「防災プロジェクトについて、インタビューを受けているところです。そもそも防災はなぜ必要なのかを発信することで、より広くミャンマー人に災害に備える意識が広まるといいなと思っています」 写真提供/大倉瑶子さん
「防災プロジェクトについて、インタビューを受けているところです。そもそも防災はなぜ必要なのかを発信することで、より広くミャンマー人に災害に備える意識が広まるといいなと思っています」 写真提供/大倉瑶子さん