「自分は何ができるんだろう」の自問から東欧へ

 そんなふうに自分に問いかけているとき、インドで撮った写真を見たんです。最初は観光客丸出しで、風景の中に自分が写った「証明写真」みたいなものばかり撮っていました。それが、2カ月、3カ月すると、写真が変わってきていたんです。自分はもちろん写ってなくて、いろいろな風景や、子どもたちとかインドで暮らす人たちを一生懸命撮っていた。それを見て面白いなと思って。写真を撮ってみようかと考え始めました。ちょうどその頃、1989年にベルリンの壁が崩壊するという歴史的な出来事があって、これをカメラに納めようと、東ヨーロッパに飛んだんです。

 東ヨーロッパはちょっと縁がある土地で。というのは、高校のときの地理の先生の授業が変わっていて、生徒を二人組にして、あなたたちはアメリカ、あなたは中国、と世界中の国や地域を割り振って調べさせたんです。それで、私がパートナーの女の子と担当したのが東ヨーロッパでした。

 当時の東ヨーロッパって本当に日本には資料がなくて、鉄のカーテンの向こうで何が起きているか全く分かりませんでした。何十年も前に出版された百科事典みたいなものとか、NHKの特派員の人が東ヨーロッパについて書いた薄い本とか、資料は本当にそれだけ。だからすごく印象に残っていて、ベルリンの壁が崩壊したとき、東側でみんながどういう暮らしをしているのか、見てみたいと思ったんです。

 ただ行ったわけじゃなくて、読売新聞の現地版、読売アメリカの編集者に、東ヨーロッパの記事を書きたいと売り込みました。現地から写真と400字詰めの原稿用紙に記事を書いて送るという仕事です。原稿なんて書いたことなかったし、写真の勉強も一切したことはなかった。でも、インドでの経験があったから、どうにかなると思った。気になったんだから、とにかく行くしかない。そうしたら、シリーズで連載してくれることになって。10週間の長い連載になりました。

「インドでの経験があったから、どうにかなると思いました」
「インドでの経験があったから、どうにかなると思いました」

 これがきっかけとなって、写真や記事を書く仕事をしているうちに、NHKアメリカ総局が、「おはよう日本」という番組で経済ニュースを伝えるキャスターを募集していますっていう話を聞いたんです。で、オーディションを受けたら、受かっちゃった。でも、円高が何を意味するのかもよく分かってない私が、朝から「ニューヨークの株式市場は」なんて言って、それをプロのトレーダーが見て出勤するわけです。キャスターの仕事に就けてとてもうれしかった反面、世の中、こんないい加減でいいのだろうかと思いました(笑)。

 ただ、スタジオで解説するだけのキャスターの仕事はあまり興味が持てなくて、失業保険を受け取るために並んでいる人たちにインタビューするとか、たまに街に出て市井の人々を取材するリポーターの仕事がすごく面白いと思いました。それが、今の仕事に発展していった。NHKを辞めて独立して、テレビの長編ドキュメンタリーの取材・制作をするようになったんです。