記憶の蓋を開けることで膨らむ「不安」

 私は、人を支える自信は3つの種類に分けられる、と捉えています。

 ●第一の自信
 ある事柄に対して「自分はできる」という認識

 ●第二の自信
 自分は自分の体や心、生き方を自分でコントロールできるという認識

 ●第三の自信
 自分は人に愛されている。集団の中で自分の居場所を確保できているという認識

 #MeTooの動きで回復するのは、これらの中でも特に「第三の自信」です。

 この自信が回復することはとても大切なこと。特に女性は、太古の昔から集団で助け合いながら生きてきた歴史が長かったため、第三の自信を本能的にいつも必要としています。

 さらには、セクハラなどのハラスメント被害を受けた場合、「自分に原因があったのではないか」「NOと言えない自分が弱かったんだ」というふうに自らを責め、「こんな自分を擁護してくれる人は誰もいない」と思い込む傾向があります。

 自分が悪かったわけでもないし、自分が弱かったわけでもない。そして、被害を受けた人は誰もが自分と同じように苦しんでいる、という事実を知ることによって、第三の自信をケアすることができるのです。

 勇気を出してカミングアウトすることで、社会や状況を変えられるのかもしれない。そう思う一方で、打ち明けることを考えると途端に不安になり、ブレーキがかかる。それも当然の感情です。

 なぜなら、「打ち明けること」にはいくつかの波及効果があるからです。

心の中でずっと鍵をかけている場所ありませんか (C) PIXTA
心の中でずっと鍵をかけている場所ありませんか (C) PIXTA

 もちろん、プラスの効果もあります。記憶の蓋を閉めて、何もなかったようなふりをするのにも、エネルギーが必要です。「もう蓋を閉めなくていい」と、蓋を外すことによって楽になります。これは、カウンセリングの場でお話をすることによって得られる効果と同じです。「はぁ、やっと言えた……」というスッキリ感ともいえるでしょう。

 しかし、同時に起こる波及効果があります。

 自分のつらい過去をオープンにすることによる「不安の増大」です。

 今までは、記憶を押しとどめ、強い殻でなんとか自分を守ってきた。しかし、その殻を外して自分をオープンにすることによって「誰かが自分の苦しい記憶を突いて攻撃するかもしれない」という不安が生まれるのです。

 こんなことがありました。数年前に私は自殺予防のためのシンポジウムに参加していたのですが、その活動を推進している人たちが「死にたいという気持ちやそういう思いによって苦しんでいることを恥ずかしいと思わずに、どんどん発信しよう」と発言していたとき、自死遺族の方が手を挙げて「私たちにもうこれ以上求めないでください」とおっしゃったのです。

 確かに、死にたい気持ちを世の中に発信して社会の理解を深めようというのは正論ではあります。しかし、その正論は別の誰かにとっては「あなたがもっと頑張りなさいよ」「あなたが黙っているから世の中が変わらないんだ」という重圧として受け止められる場合もあります。

 とても残念なことですが、自分が受けたハラスメントを勇気をもって告発した人へのバッシングも実際に起こっています。「勇気を持って発言してくれてありがとう」「全力でサポートしよう」と寄り添ってくれる発言が得られれば、前述の「第三の自信」を回復させられるのですが、バッシングを受けると「第三の自信」を失うリスクにもさらされる。

 好意的なコメントが50個ついても、ネガティブなコメントがたった1個つくだけでそのショックは大きく、後を引きます。特に不安が増大すると、その不安そのものがエネルギーを消耗させます。すると、本能的な「原始人モード」(参考・前回記事 「余裕がある人が羨ましい」と感じたときの心の調整法)が高まり、自分へのちょっとした批判が「自分を殺しに来るかもしれない」くらいの脅威となる。楽になりたい、と発信したことが、自分をもっと苦しめる場合もある。

 だから、記憶の蓋を開けることにはリスクがあるのです。打ち明けることが怖いのは当然なのです。