人一倍健康への関心が高かった徳川家康

 長生きしたことで歴史の勝利者になったといえば、まず思い浮かぶのが徳川家康だろう。ところが、1542年生まれの家康が天下を取るには、1534年生まれの織田信長、1536年生まれの豊臣秀吉という2人の「目の上のたんこぶ」(永山さん)がいた。

 「家康は若いころから野心を持っていたはずですが、この2人と正面から戦っても勝ち目はありません。ではどう考えたかといえば、『信長、秀吉よりも長く生きなくてはならない。長く生きれば必ず自分の時代が来る』と思っていたに違いありません。きっとそのためでしょう。家康は、人一倍健康に気を使っていました」。

 永山さんによれば、関ヶ原の戦いにおいて、家康が食事を大切にした興味深いエピソードがあるという。

 「ご存じのように、関ヶ原の戦いは家康率いる東軍が勝利を得て、昼頃には大勢が決し、すぐに西軍の残党狩りが始まりました。それを前にして、徳川方の足軽が空腹を満たそうと、持参した生米を食べようとしたときのことです。それを見た家康は『生米を食べるのはやめろ。水に浸してふやかしてから食べるように』と厳命したと伝えられています」。