私が起業して間もなく、企業研修や講演、取材対応が急激に増えた時期があり頭を抱えていました。なぜなら、もともと私は人前で話すのがあまり得意ではなく、緊張してうまく話せず、良いことを言おうとして失敗する悩みを抱え、講演日の1週間前から胃が痛くなるのが日課だったのです。

 この悩みを講演家の先輩や研修講師仲間に打ち明けたところ、決まって返ってくるのは「場数だよ」という言葉。練習とは無縁なスラスラとよどみなく話せるプロほど、「慣れ」「場数」という言葉を発していたように思います。

 そのころは「慣れ」「場数」という言葉にピンときませんでしたが、講演・研修の場が増え、独立後8年目には私自身が他の人から「どうして池田さんはスラスラと何時間も話し続けられるのですか?」と聞かれることが増えました。実は今でも毎回緊張するのは変わりませんが、慣れや場数というのは本当だったなと身に沁みて感じています。

慣れながら、慣れない緊張感を作る「鏡」の効果

 ただし、「慣れ」ほど怖いものはないと感じるのも事実。「いつものテーマだから」と気を抜くとうまくいかなくなりますし、聴衆の反応にも恐ろしいほど影響があることが分かったからです。

 講演や研修は、ある程度テーマや内容が重なることが多いものです。そこで何度も同じことを聞かれ、同じことを話していると、つい慣れが生じてきてしまい、なんとなく話してしまうこともあります。しかし、自分は慣れてきていても目の前にいる相手は常にフレッシュな気持ちで私の言葉を待っているのです。このことを忘れて気を抜くとたちまち失敗してしまいます。

 以前、一度話したこととほぼ同じ内容で、別のカジュアルな勉強会で話す機会がありました。一度話したことがある内容だし、前回はうまくいったし、しかも今回は非公式な勉強会……と、しっかり準備をせずに向かったのですが、壇上に立った瞬間、頭の中が真っ白になり、自分でも何を言っているか分からない状態になってしまいました。この時にあらためて、「過信して天狗になると、すぐにグダグダになる」という事実に直面して猛省しました。

 この失敗を境にどんな講演でも必ず1度は全身が写る鏡の前でリハーサルを欠かさないのが私の習慣となりました。

 鏡の前で練習する理由は、自分がどのように見られているかをあえて意識し、「第三者目線」を意図的に作るためです。練習に付き合ってくれる第三者がいれば、適切なアドバイスをもらえるかもしれませんが、そんな暇な人はなかなかいませんよね。そこで私は客観的な目を意図的に作るために、鏡を活用しているのです。

 それでも「これだけ準備したのにこんな程度しか話せないのか!」と、自分ツッコミを入れたくなるような結果になることも多々あります。しかし、この準備があるのとないのでは、自分の心持ちが違ってくることを実感しています。