「ごめんね」の安売りはあなた自身を安売りする

 とりあえず「ごめんね」と言っておけばいい、という気持ちの謝罪では人はごまかせません。例えば芸能界や政界での、スキャンダルの謝罪会見などを見ても感じることだと思います。

 「ごめんね」は、本当にごめんね、のときまで取っておきましょう。また、なぜ「ごめんね」なのかを自分の中で明らかにしていきましょう。

 そうしないと「ごめんね」でなんとなくナアナアになった気持ちをモヤモヤ抱えたまま、本心が分からないままの人間関係を続けていってしまうことになるのです。

「ごめんね」を「ありがとう」と言い換えるだけで周囲の気分が変わる

 私が嫌っている「母親なんだから」の価値観に縛られているのに気付いたように、「ごめんね」で探ったあなたの価値観が、これからの自分にふさわしくないな、と思ったときは、言葉をまず変えてみることから始めてみましょう。

 実は、何気なく「ごめんなさい」「すみません」を言っている場面では、「ありがとう」と言い換えても何も問題がなく、むしろ気分がよくなることが多いのです。

 例えば「大変な思いをさせちゃってごめんね」を「大変な思いまでしてやってくれてありがとう」と言ってみたらどうでしょうか。同じ出来事でも、相手に対する感謝の気持ちがじわじわと湧いてくるのが分かるでしょう。

 余談ですが、先日両親と温泉に行ったとき、私の過去の「ごめんね」の思い出がよみがえってきました。私は小さい頃病気がちで、母親の持病を引き継いでおり、母親に「悪いところばっかり似ちゃってごめんね」と言われていました。そのことが「私は親の悪いところばかり引き継いでしまったのだ」と、心におりのようにずっと沈んでいたのです。しかし今回一緒に温泉に入り、年齢の割にきめの細かい母の肌を見て、この肌は母親に似たんだ、私は悪いところばっかり似た子どもじゃなかったんだ、と思いました。

 今なら分かります。母親の「ごめんね」は私を傷つけるつもりでは決してなく、愛情の裏返しだったことが。母もまた、「ごめんね」の呪いの被害者だったことが。