自己肯定で、抑圧を弾き飛ばせ!

 自己肯定の強い人を見ると、「無理していないか」と思うことがあります。「ネガティブな自分を見せるのはポジティブではないから」と、ダメな部分を受け止めることを避けて覆い隠してしまい、良い部分のみを自己肯定している人もいるのではないでしょうか。

 女性にポジティビティ(肯定的な感情)が求められるのは、「女性には清楚でいてほしい」「文句があっても黙っていてほしい」「欲望があっても隠していてほしい」というジェンダー観とつながっているためでもあるでしょう。昨今は、汚部屋に住んでいたり、物事をはっきり言ったり、欲望のままに生きていたりする人がいても、テレビではキャラクターととらえられ、女性としてダメな部分を、「笑っていただいている」という構図にはめこまれている場合も少なくありません。だから、そのダメな部分は肯定しているのではなく、共演者にダメ出しされるためのフリに使われていることも多く見かけられます。

 ところが渡辺さんは、汚部屋の住人であるということも、料理を作らないということも隠さずに公言していますが、そのことをネタに番組に出ることは最近ではほとんどありません。 そんなことは誰にもジャッジされなくていいという思いを抱いているように感じます。

 そんな渡辺さんがモノマネをしているビヨンセは2013年末に発表したアルバム『Beyonce』で、フェミニストのメッセージを大々的に掲げました。当初から賛否両論はありますが、このようなアルバムを出した彼女や、そのほかの女優、歌手が、女性をエンパワーメントしようという空気は、徐々に世界に広がっているように思います。

 ただ、日本では、このような空気は一部ドラマのテーマになっていたり、海外雑誌の翻訳版に取り上げられたりという形では伝わってきていますが、歌手や女優が中心となって広めるというフェーズにはきていないように見えます。

 渡辺直美さんは、特にフェミニストであると語っているわけではありませんが、その生き方、振る舞いは、日本の女性たちに向けられる「こうでないといけない」という抑圧を弾き飛ばしているように見えるのです。例えば、小さいことに見えるかもしれませんが、自分を卑下しすぎることはないということ、言いたいことははっきり言うこと、モデル体型でなくても、こんなにファッションアイコンになれること、などがそうでしょう。

こんな風に生きてもいいんだ

 中にはそんなことより、もっとはっきりとフェミニズム的なメッセージを掲げればいいのにと思う人もいるかもしれません。しかし、好きなことを好きということもはばかられるし、自己犠牲なしに自分の好きに生きているのは後ろめたいし、食欲、物欲から性欲まで、欲をあからさまに出したらはしたないと思われるし、嫌なことがあっても愛想笑いでやりすごさなければならない――という抑圧的な環境で暮らしている人には、そこから解放されること自体が罪悪感につながるかもしれません。

 抑圧から解放されることに恐れを抱くような息苦しさの中にいる人には、彼女の何気ない行動の一つひとつから、「こんな風に生きてもいいんだ!」という小さな解放感を得ているのではないでしょうか。そして、彼女からそんな空気を感じているからこそ、多くの女優やモデルを抜いて、彼女がインスタでフォロワー数1位なのではないかと思うのです。

文/西森路代 イラスト/川崎タカオ