鍛錬は私たちの視野を狭くする

[引用]アイルランド人作家コラム・マッキャンは、違う視点から自分の文章を見るために、時々書式を極小のフォントー8ptのTimes New Romanーに変更し、目を細めて一生懸命を見ないと読めないようにしていることを明かしている。

 このマッキャンの話は多くのことを語っています。私たちは一つのことに集中すればするほど、目の前のタスクにとって不要な情報を無意識の領域に押し出します。マッキャンのような物書きの場合、何時間もかけて編み出した文章は客観的に見えなくなってしまうのですーそれは文法や綴りの間違えさえも見落としてしまう程。

 こうした人間の視野狭窄は認知心理学の研究でも明らかにされています。1999年に心理学者のChristopher Chabris(クリストファー・チャブリス)とDaniel Simons(ダニエル・シモンズ)によって行われた実験もその一つ。まずは下記の映像を見てみましょう。白い服を着た人たちが何回パスを回すかを数えてみてください。

Chabris&Simons 心理学実験

 みなさんは気付きましか? パスを回す集団の中をゴリラが通っていったことを。見落としてしまった人もいるのではないでしょうか?

[引用]ゴリラの着ぐるみを着た人物が画面を横切る様子は実に50%の割合で見落とされる。このような例外が想定されていないためゴリラが通っても本当に見えなくなってしまうのだ。他にも専門家が自分が得た専門知識の量を認識できないため普通の人の視点で問題を捉えることが難しくなってしまうといったいわゆる「知識の呪縛」の例はたくさんある。

 私たちが色々なことに気づくことができなくなってしまうのは、皮肉にも鍛錬の結果なのです。

[引用]私たちの脳は予期しない事態に容量をとっておくため、できるだけ多くのプロセスを自動化するようにできている。哲学者Alfred North Whitehead(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド )が要約したように、つまるところ「文明は思考を伴わず行える操作を増やすことで発展していくのだ。」

自分のバイアスに気づくことが重要

 特定の領域において自分の能力を磨くことは、それを効率良く行うための視点だけを選択的に選ぶことでもあります。裏を返すとそのスキルを発揮する上で不必要な視点へ移行することが難しくなるのです。仕事、家族、友人、環境といったさまざまな因子によって知らず知らずのうちこのようなバイアスが形成されていくことはある意味必然的なことです。中でも継続的なレベルアップが求められる仕事においてはこうした視点の偏りは顕著です。

[引用]繰り返し同じ作業をより効率的に行いたい場合は、タスクを無意識に行えるようにする脳のメカニズムはありがたいものだ。しかし、これまでとは違うやり方で何かをする必要が出てきた際、これが反対に障害となる。クリエイティブな仕事や人生全般においてハードルに直面し、これまでのアプローチではうまくいかない時がまさにそういった状況だ。