巨像の島がたどった悲劇

 イースター島の最初の住人は、4~5世紀に移住してきた長耳族。耳たぶに開けた穴から重りをさげ、耳を長く見せていた彼らは、最高権力者である王のもと、村々の首長を務める貴族、神官、戦士、農夫からなる4階層社会を形成した。モアイ像は、彼らが6世紀半ばから17世紀頃にかけて造ったといわれている。モアイ像の耳たぶが長いことが、そう考えられている理由である。

 長耳族の移住からおよそ30世代後、1100年頃に島に移り住んできたのが短耳族。彼らは長耳族の風習や信仰に従い、モアイ像の製作にも協力するなど、両部族は200年にわたって平和な暮らしを築いていた。

伝説ではモアイ像は歩行が可能で、製作された場所から直立される場所まで自分で歩いていったといわれる。
伝説ではモアイ像は歩行が可能で、製作された場所から直立される場所まで自分で歩いていったといわれる。

 島の最盛期は、モアイ像の製作が盛んに行われた12世紀から15世紀にかけて。人口もおよそ1万人を数えたというが、16世紀に入ると人口過剰で食糧が不足し、長耳族と短耳族の争いが激化。そして、支配階級だった長耳族を倒して新たな権力者となった短耳族は、長耳族が信仰していたモアイ像を、ことごとく破壊したのである。

 悲劇は、その後も続いた。19世紀に世界的にアザラシ猟が流行すると、島民は安い労働力として、各国の漁船で連れ去られてしまう。資源の採掘のため、ペルーでの強制労働に駆り立てられる島民もいた。数千人が島を出たが、労働から解放されて帰島したのはわずか15人。しかも彼らは天然痘や結核に冒されており、残っていた住民たちにも次々に感染。1877年には、島で生き残った住民は、わずか120人になっていた。

島の随所には、倒れたモアイがそのままに放置されている。
島の随所には、倒れたモアイがそのままに放置されている。