大地から生まれた巨大な石像

 三角形のイースター島にはいくつもの火山がそびえるが、その1つ、南東部にあるラノ・ララクの麓には、300体近いモアイ像が未完のまま放置されている。ここが、モアイの製作現場だ。

ラノ・ララクの麓にたたずむ未完成のモアイ群。
ラノ・ララクの麓にたたずむ未完成のモアイ群。

 人々はここで地表の柔らかい凝灰岩を彫り込み、モアイ像を造り上げていった。先に像の前面、次に側面を彫り、最後に背面を切り離し、搬送。高さ5mのモアイ像を造るのに、30人の石工が1年をかけたという。

切り出し中に放置されたモアイ。
切り出し中に放置されたモアイ。

 完成したモアイ像は、島のいたるところにある「アフ」と呼ばれる石造りの祭壇まで運ばれた。最も遠い場所まで、その距離20km。どのようにして運搬したかには諸説あるが、湾曲した板の上に像を腹ばいに横たえて縛りつけ、ロープで引っ張ったという説が有力だ。

 目的地に到着すると、木の棒を前面に差し込んで「てこ」の原理で像を起こし、隙間に石を詰め込みながら、少しずつ立ち上げていった。仕上げとして白いサンゴと赤い凝灰岩で作った眼球をはめ込み、モアイ像に命を吹き込んだのである。

像の頭部を飾る帽子のようなものは「プカオ」と呼ばれる。が、どのような意味があるのかは不明だ。
像の頭部を飾る帽子のようなものは「プカオ」と呼ばれる。が、どのような意味があるのかは不明だ。

 イースター島の地形は比較的平坦とはいえ、数十トンにも及ぶ巨像の運搬は、一大事業だったに違いない。おそらく、支配階級の長耳族が指示を出し、短耳族が労働を担ったと考えられている。

 だが、これらはすべて想像の域を出ない。先に述べたように島の人口は激減し、わずかに残った住民もヨーロッパ人の影響でキリスト教に改宗。島固有の文化は失われ、独自のロンゴロンゴ文字を読める人もいなくなった。かくして、すべてが謎のままに残されることになったのである。