今ではテレビで見ない日はないほど人気となったお笑いコンビ・平成ノブシコブシ。実は、賞レースでの優勝や、バラエティー番組に大抜てきされるなど、ブレークのきっかけとなるものは特に見当たりません。このコンビの売れ方を、お笑い評論家のラリー遠田さんは「長い間とろ火でじっくり煮込んでいて、ようやく味が出てきたようなもの」と例えます。一体どういうことなのでしょうか。

平成ノブシコブシの吉村崇さん(左)、徳井健太さん(右) 写真/吉本興業

 テレビで人気がある芸人の多くは、もともとは賞レースで優勝する、コント番組のレギュラーに選ばれる、ネタ番組で特定のギャグやキャラクターが注目されるなど、何らかの大きなきっかけがあって飛躍的に人気を伸ばし、現在の地位を築いています。

 ところが、平成ノブシコブシの二人にはそれがありませんでした。今や、吉村崇さんは数多くのバラエティー番組に出ている人気芸人であり、相方の徳井健太さんも深夜番組を中心にその持ち味を発揮し始めています。

 ただ、彼らは何か一つの大きなきっかけがあって今に至っているわけではありません。テレビに出始めたのは比較的早かったのですが、そこから頭一つ抜け出せない時期が長く続いていました。そして、ようやく数年前から本格的にテレビに出る仕事が増え始めたのです。料理で例えると、長い間とろ火でじっくり煮込んでいて、ようやく味が出てきたようなものです。彼らが歩んだ道のりを簡単に振り返ってみたいと思います。

度々の解散、貧乏生活、挫折…パッとしなかった若手時代

 吉村さんと徳井さんは芸人養成所「NSC東京」の5期生でした。二人とも別の人とコンビを組んで何度か解散を経験していて、卒業時にはそれぞれ一人きりでした。焦りを感じた彼らは余り物同士で何とかくっついてコンビを結成しました。お互い、相手には何の期待もしていなかったそうです。

 初めての打ち合わせの際、徳井さんは髪の毛をオレンジ色に染め、夏なのにウインドブレーカーを羽織って現れました。その姿を見て吉村さんは、これからうまくやっていけるのかどうか不安を隠しきれなかったそうです。

 若手時代から徳井さんは仕事がなくても自分でバイトなどで稼ごうとはせずに、ひたすら借金を繰り返し、交際相手の女性に生活費を出してもらうヒモ生活を続けていました。

 平成ノブシコブシが世に知られた最初のきっかけは、「やりすぎコージー」(テレビ東京)で吉村さんが上半身裸で脇を鳴らすという特技を披露したことです。この芸で吉村さんはいくつかのバラエティー番組に出るようになりましたが、本格的なブレークには至りませんでした。2007年にはフジテレビの深夜のコント番組「コンバット」のレギュラーにも選ばれたのですが、結果を残せないまま番組は終わってしまいました。ここで二人は大きな挫折感を味わいました。