「女子高生に人気の芸人ランキング」にランクインし、ビートたけしさんや内村光良さんなどの大御所からも評価されて、幅広い層から支持を得ている芸人・千鳥。今ではテレビで見ない日はないほど人気のコンビですが、大阪で成功を収めて東京に進出して人気が出るまでには、苦労した時代がありました。お笑い評論家のラリー遠田さんが解説します。

岡山出身のお二人 写真/吉本興業

 お笑いの世界では「大阪の芸人は二度売れなくてはいけない」という定説があります。大阪で活動を始めた芸人は、まずは大阪でそれなりの地位まで上り詰めなくてはいけない。それができて初めて東京に進出することができる、ということです。

 日本では、ほとんどの文化が東京一極集中になっているのですが、お笑いだけは大阪にも東京とは別のしっかりした土壌があるため、このようなことが起こるのです。

 大阪で成功を収めた芸人が、いざ東京に出てきてなじめなくて苦戦するというのは、これまでにもしばしば見受けられた光景でした。しかし、千鳥ほど長くくすぶってから花開いた例は珍しいのではないでしょうか。2012年に意気揚々と東京進出した彼らは、思わぬ苦労を強いられていました。大阪では10本以上のレギュラー番組を抱えていたにもかかわらず、他の大阪出身の芸人と同様に、東京ではゼロからの出発となりました。

 千鳥が東京に定着するのに時間がかかったのには、二種類の原因があります。彼ら自身が全国区の仕事に対して必要以上に構えてしまい、力を発揮できなかったこと。そして、制作スタッフや共演者も、彼らをどう扱っていいのか分からなかった、ということです。

 千鳥はもともと、気心の知れた芸人やスタッフと一緒になって、リラックスした雰囲気で何かをやっているときが一番面白い、というタイプの芸人でした。大阪時代にはテレビでもライブでも伸び伸びと振る舞うことができていたので、彼らが面白いことは誰の目にも明らかでした。

 ところが、東京のテレビでは、なかなかそういう機会が与えられませんでした。