ユマニチュードとは何か

■具体的に何をするのか?

 では、ユマニチュードとはどういう“技法”なのでしょうか。本書に登場する「気の進まない患者さんを無理やりお風呂に入れる」というケースを事例に見てみます。

 この行為の目的は、当たり前ですが「患者さんの身体を清潔に保つこと」です。ケアする側としては、当然「いいこと」としてそれを行います。しかし、どういうわけか患者さんは身体を動かそうとしてくれない。それではスケジュール通りにケアが消化できないし、何より患者さんの清潔が保てない。ゆえに、「お風呂に入りますよー」と一方的に声をかけて所定の場所まで運び、身体を固定して無理やりシャワーを浴びさせるわけです。

写真/Pi-chan(PIXTA)
写真/Pi-chan(PIXTA)

 ユマニチュードでは、こういった行為を徹底的に見つめ直すところから始めます。相手はシャワーを浴びたいと思っていたのか。それは適切なタイミングだったのか。本当に合意は形成できていたのか。患者さんはなぜ嫌がっていたのか。恐怖心を与えていなかったか。相手の身体を丁寧に扱えていたか。ちゃんと相手に敬意は払えていたのか──。

 このように、ケアにまつわる一挙手一投足の意味や意義を突きつめて考えていくのがユマニチュードの姿勢です。

■ユマニチュード4つの柱

 ユマニチュードは確かに「ケアの技法」ですが、それは単に“患者さんのため”の技法ではありません。それは“人と人の関係性”を重視する思想体系であり、〈ケアを受ける人とケアをする人の双方が「よかった」と感じられる〉ことに主眼が置かれています。

 そのため、単に「お風呂に入れるときはこうしましょう」というマニュアルが提示されるわけではありません。そうではなく、「相手を“人間らしく”扱う」とは何かを徹底的に考えた上で、それに則ったケアを行っていこうとユマニチュードは説きます。

 とはいえ、根幹となる部分が漠然としたままでは話が始まりません。本書では、この「相手を“人間らしく”扱う」という命題について、具体的な4つの柱に基づいて解説がなされていきます。

 ユマニチュードでは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」という4つの行為を“人間関係の柱” と考えています。見る/見られる、話しかける/話しかけられる、触れる/触れられる、立つ/支えられる。人間を人間たらしめているのはこの4つの行為であり、これらが成立して初めて、互いを人間として尊重していることになる(事実、赤ん坊はそういう扱いを受けることで「人間になっていく」のだとか)。ユマニチュードでは、この原則に従って取るべき行動を選択していくわけです。

■人間は全身で情報を取得している

 例えば見つめるというのは、「あなたの存在を認めていますよ」というメッセージを送ることです。また、話しかけた相手に「理解してもらえた」と感じるためには、言葉による返答や身振り手振りのリアクションが必要です。

 皮膚は敏感な受容体ゆえ、触れられ方やその強弱によってネガ/ポジ様々なメッセージを受け取ります。そして、人が立つことができるのは、足の裏から取得した知覚情報により、脳から筋肉や関節の動きに関する指令が出ているからです。

 人間はこのように全身で情報を取得し、言語的/非言語的な様々なメッセージをやりとりしながらコミュニケーションしているといいます。だから、例えば口では相手を気遣うようなことを言っていたとしても、相手の目を見ていなかったり、腕を強い力で掴んでいたりすると、ちぐはぐなメッセージを同時に送ってしまうことになり、しばしば相手を混乱させてしまうとか(こういったこと、確かに自分もやってしまっているような……)。

 だからユマニチュードにおいては、「まず目を見て互いを認識し、お風呂に入りましょうと意図を伝え、合意を形成し、優しく触れながら相手の身体を支え、シャワーやシャンプーなど何をするのか逐一言葉で伝え、全身で『あなたの清潔を保つお手伝いをしたい』という気持ちを伝えていきましょう」というのが“患者さんをお風呂に入れる際のメソッド”となるわけです。

 このように、相手の目を見て話しましょうとか、相手に触れるときは優しくとか、ひとつひとつは極めて常識的なことですが、「相手を“人間らしく”扱う」ためには、全身に神経を張りめぐらせながらそれらを徹底させる必要があります。これらを細かなメソッドにまで落とし込んだのがユマニチュードであり、それが「革命」と呼ばれるゆえんです。