既定路線の進路をやめた

――家族中が望んでいた「医者になる」という道をやめ、著名人に話を聞いてまとめる「ミッション」にまい進すると決めました。ご両親は悲しまれたそうですね。

 自分の道を歩み出すという決断を親に伝えるのに、いいタイミングはありません。医師にならないと決断することで、母に泣かせるほどのショックを与えてしまい、つらい思いをさせました。両親は移民で、多大な犠牲を払い、私を大学に入れてくれたのです。

 どれほど医学を修めることを期待され、自分でも医者になるという成果を求めてまい進してきたか……。サマーキャンプ、インターンシップ。必要な勉強はすべてこなしてきました。

 象徴的なエピソードがあります。10歳かそれくらいのときに、私は学校の生徒会会長に選出されたんです。家族の集まりのときにそのことが話題になり、誰かが祖父に「あなたのお孫さんは、将来大統領になりますね」と冗談交じりに言ったんですよ。祖父は私に向いて「そう。米国医師協会の会長にね!」と言ったんです。「その道を外れるのではないぞ」という圧力を感じました。私が医者になることは既定路線でした。

 それなのに私は大学に入って医学課程に進むのをやめ、次の年には大学をやめました。

自分の決断に悩みながらも、「ミッション」に専念する状況を自らつくった。バナヤン氏は著名人にインタビューしようと努力を重ねるが……。同時公開の下編「『サードドア』著者バナヤン氏(下) 不安と友達になる」へ続きます。

取材・文/中川真希子(日経doors編集部) 写真/稲垣純也