目標に向かってたゆまぬ努力を続けたオリンピアン。日々の厳しい練習だけでなく、周囲からの大きすぎるプレッシャーにライバル選手の動きなど、超えなければならないハードルがたくさん。そんな中彼らはどのようにして栄光の舞台で自分の力を発揮したのかを聞く本連載。今回は元バドミントン日本代表の池田信太郎さん。後編では潮田玲子選手とともにイケシオペアとしてロンドン五輪出場後、海外でのプレーを決意し、引退後のセカンドキャリアを築くまでの話を聞きました。
上 池田信太郎 「思い込み」の鎖を断ち切り、つかんだ五輪
下 バトミントン池田 「瞬時に切り替え」でメンタル安定←今回はここ
自分を追い込み、日本初のプロバドミントン選手の道を切り開く
日経doors編集部(以下、――) 前編では、大学時代に一度はあきらめたバドミントンへの情熱を取り戻し、北京五輪へ出場するまでのお話を伺いました。その後、モチベーションを失い、暗いトンネルの中を進んでいるような日々を送ったそうですね。
池田 大きなモチベーションとなるものがなかったこと、もう一つは次のロンドン五輪を目指すにしろ、北京五輪までと同じ4年間を過ごすのはきついと思っていました。自分に刺激がないと続かないし、自分に何かを課さないと、もうバドミントンはできないと考えていたんです。
―― 自分で自分を追い込んだんですね。このときに、支えになったことやストレス発散のためにしたことはありましたか?